寺田 博さんつながりで『編集とはなにか(藤原書店)』を読んでいたら、いろいろ話がつながりましたので、備忘をかねて紹介しておきます。

海燕の創刊について。

氏が河出書房新社を辞め、OBたちと一緒に作品社という出版社を設立したのが1976年。そこで『作品』という文芸誌を創刊します。しかしたったの6号で立ち行かなくなり、この雑誌を引き受ける会社を探すのですがなかなか見つかりません。運良く、人づてに当時の福武書店が(編集の)人を集めている話を聞き、創業社長に話を持っていくのですが、結果『作品』はあきらめて、OB5人がまとめて入社することになったのだそうです。

慣れない内は、事業部ごとの予算・決算で業績が丸見えというのが辛かったとか。

福武書店の創業社長は、福武哲彦さん。一代でこの会社を大きくした方で、美術品の収集を趣味とし、「福武コレクション」なるものもあるそうです。その関係か、美術雑誌を作りたかったらしいのですが、文学雑誌でもよいか、という話で『海燕』の創刊に結びついたと。これが、1982年。

『TeWaZa』が美術品系の雑誌であること、フォトジャポンも芸術寄り、ということでいえば、これらの雑誌には社長の想いが託されていたのかもしれません。

本の最後の方にある鼎談にはこんな話も。

粕谷一希「すると最後は、寺田さんのような熱意が重要だということです。僕は関心してしまう。福武にいって、朝8時に出勤し、社歌を歌う(笑)。福武が社歌を歌っても僕はちっとも驚かないですが、寺田さんが歌うことには驚きます。」

フォトジャポンのアルバイトはほとんど昼以降でしたので、社歌については覚えがありません。しかし、編集者といえばだいたい午後出社、夜遅くまで仕事をし続けるイメージだけでなく、人に会うのが仕事みたいな職種でもありますので、朝8時出社はキツかったでしょう。偉い人というのは、人には見えない苦労をしているのですね。

ちなみに、社長の福武哲彦さんは1986年4月に急逝。フォトジャポンはこの年の10月に休刊になります。『海燕』は14年続き、1995年4月に休刊。

寺田さんの文章。

「(前略)多少の業績はあげたつもりでしたが、最終的には教育産業の会社として出版部門がどうも生産性に欠けるということで撤退が決まりました。」

世知辛いなぁ・・。