アサヒカメラといえば、切ってもきれないのが木村伊兵衛さん。左の写真は、アサヒカメラ別冊『木村伊兵衛の世界』、昭和49年8月発行。1974年なので、古本屋で手に入れたか、貰い物か。もう一冊、アサヒカメラ別冊で木村さん特集を持っていたけれど、写真学校の友人に貸したきり、戻ってきていません。

改めて調べてみましたら、木村伊兵衛さんは、この1974年に亡くなられていて、木村伊兵衛賞は翌1975年にアサヒカメラが創設したとあります。そのような時代の、アサヒカメラ別冊です。

私ごとでいうなら、写真に関心をもちアサヒカメラを見始めたころ、木村伊兵衛さんと土門拳さんは、常に特別扱いされる写真家でした。こういう情況の中では、彼らの写真が「よい写真」という具合の理解をします。自分なりの判断もできない頃ですし、できたとしてもそれは一旦保留にしなければ、それを学び、前に進むことができません。

こうした事情と、写真雑誌のコンテストに見る写真の多くが「ストリートスナップ」であったことから、写真作品といえば「ストリートスナップ」という考えが自分の中にしみこんでいったのでしょう。

木村伊兵衛さんの履歴には、次のような項目があります。

  • 1924年 – 内地帰還後、日暮里で写真館を開業した。
  • 1929年8月19日 – 霞ヶ浦にグラーフ・ツェッペリンが飛来した際、フーゴー・エッケナー船長が縦型距離計フォーディスつきのライカIAを首に提げていたのに触発されたのがライカ購入の動機になったという[3]。
  • 1930年 – 花王石鹸(現・花王)広告部に嘱託として入社。入社後すぐに購入したライカIAでリアルな広告写真を撮ることで注目され、その後ライカを主力に作家活動を続けた[4]。
  • 1932年 – 月刊写真雑誌『光画』を野島康三らと発刊し、ライカによるスナップ写真を毎号のように発表した。

私の頼りない記憶によれば、開業した写真館は奥さんに任せっきりで、自分はライカを手にぶらぶら街を歩きながらスナップを撮影していたと。ライカ一台で、家一軒が買えると言われていた時代です。「作家活動」と言えば聞こえはいいものの、いわば仲間うちで「お大尽」をやっていたにすぎないとも言えます。この時代にライカでスナップ撮影をしている人は他にほとんどいない最先端ではありますから、これが後に「いい写真になっていく」のは自然な成り行きかもしれません。

ちょっと話はずれますが、写真コンテストの1位は大きく印刷され、下位になるほど扱いが小さくなることは、当たり前のこととして受け入れられているはずです。しかし、実のところ、多くの場合、どんな写真でも大きく扱えば、「よく見える」ようになります。なので、いい写真だから大きく扱われるのでなく、大きく扱うから「いい写真に見える」と考える方が正しい。このあたりの誤解のような解釈があるため、序列化が正当性を持つように見えます。

今、この別冊の表紙の写真を見て、木村伊兵衛撮影であること、表紙である事実を抜きにするなら、多くの人は海外で撮られたばあさんの写真とだけ理解することでしょう。目が入る顔が、画面の隅に配置され、真ん中には主たる被写体がないことから、何を撮っているかわからない=下手な写真、と解釈する人も少なくないでしょう。つまるところこの手の写真は、誰が見ても価値や意味がわかる写真ではなく、写真に詳しいとされる写真家・評論家たちがこぞってこれがいい、とすることにより、「いい写真になったもの」です。なので、異なるグループの価値判断とは相いれず、時に論争などを繰り広げることで、さらに周辺の人々が熱狂する、という・・・。

ストリートスナップの行方

とにもかくにも、木村伊兵衛さんは「ストリートスナップ」の名手であることは事実です。

では、「ストリートスナップ」とは何か?  今、ファッション業界でストリートスナップと言えば、町中でモデルまたは一般のお洒落な人々を撮影したポートレートという理解されるはずですが、木村さんのも写真雑誌のコンテストのスナップも、これとは違う。

なんというか、町中(ストリート)で自分とは関係のない人々を無許可で撮影(スナップ)し、その出来上がりの画面を見ながら、あーでもないこうでもない、あれがいい、これが悪い、と仲間うちで評価しあう、そんなイメージが私にはあります。

自分とは関係ない人々を写している時点で、カメラを持たない人、あるいは家族を撮影する程度の一般の人々には、意味がわからないはずです。だから「趣味」ともいえるのですが。

目を世界に向けて、「ストリートスナップ」の名手といえばロバート・フランクで、不朽の名作「THE AMERICANS」は1955~56年に全米を旅しながら撮影され、1958年に発表(仏)された写真集です。

大雑把に言ってこの時代、カメラが小型化し、旅をしたり、町中を歩きながら撮影ができるようになり、一般の人々の日常が写せるようになったことにより、「ストリートスナップ」が可能になったのであり、さらにカメラが安価になりそれを「趣味」として楽しむようになった時に、「ストリートスナップ」のコンテストを実施することにより、趣味の熱はさらに高まり、カメラ業界がさらに繁栄していったのでしょう。

正直、今、自分が撮影したかつての「ストリートスナップ」を見る時、そこには自分自身の「作為」が恥ずかしいほど目につくばかりで、知っている人が写っているわけでなし、当時の風俗が見えるわけでなし、社会問題に切り込むわけでなし、いったい全体どんな意味を読み取ればよいのか・・・まあ、自分の歴史の一ページには違いないのですが・・・。

そして今、一般の人々の肖像権意識の高まりがあり、カメラ業界の低迷があり、カメラ雑誌の休刊が相次ぐ中で、かつての「ストリートスナップ」は果たしてどこに向かうのでしょう。などと遠い目をしながら「THE AMERICANS」を見直すと、「ストリートスナップ」もいいなぁ、と思うんですけれどねぇ。