アサヒカメラ増刊。1975年4月。

この表紙の写真を見て当時を思い出すのではなく、今現在の写真として既視感のある人は情報通でしょう。

つい一昨日の2021年6月1日から、東京都写真美術館で開催されている企画展「新・晴れた日 篠山紀信」に展示されている写真の類似カットです。この増刊の72・73ページに見開きで掲載されている写真が、こちらに掲載されているのと同じ写真になります。

「晴れた日」は、1974年にアサヒグラフ誌に掲載され、後に写真集になったもの。この増刊号には「現実に向かう私の目」という特集で、篠山紀信、荒木経惟、東松照明、北井一夫 さんらの作品が掲載されています。

目次から、他に掲載されている写真家を抜き出してみます。

「浸透しあう表現領域 / 素材、あるいは、資料として」ー アンディ・ウォーホール、木村恒久、小沢昭一

「イメージと現実の相克」ー ユジェーヌ・アジェ、マン・レイ

「二つのポートフォリオ」ー ラルフ・キブソン、ジョセフ D・ジャクナ

「民衆の中の歴史」ー 桑原甲子雄

「表現される空間 / メディアとしての写真展」ー 渡辺勝巳、大島洋、森山大道、塚原琢哉、荒木経惟

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カメラ技術編には、北代省三、小倉磐夫、吉山一郎、米谷美久

評論に、多木浩二、鈴木志郎康

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もうね、オールスター。世代を超えて、国境も超えて、古い時代の写真の概念を壊しつつ新しい時代を模索しようとしていることが、まさに手にとるようにわかります。なにしろタイトルが「近代写真の終焉」ですからねぇ。

もちろんこの増刊がでたのは、私が14歳の中学生であり、写真にはまったく関心がなかった頃。これを入手したのがいつかは忘れましたが、上京してからだとすると、ゆうに10年遅れになります。しかし、これだけの有名人が一冊に登場する増刊というのは、それだけで十分当時の「熱気」を伝えるているように思います。

知っている人は知っていると思いますが、篠山紀信さんと荒木経惟さんは、同じ1940年生まれですから、このころ30歳台半ば。時代的にも、世代的にも「熱さ」が許容されていたころです。この後の時代はもう、シラケ世代になりますね。

なので今、東京都写真美術館で開催される「新・晴れた日」が、今の若い人たちの目にどのように映るのかについては多少の興味はあるものの、おそらく私自身が見に行くことはないでしょう。篠山紀信さん自身が、既に評価の定まった方であるし、作品についてはだいたい同時代で見てきていますから、ここで改めて作品の全体像をみたところで・・・と考えてしまいます。

実のところ、篠山紀信さんすごいすごい、という展示会や評論ばかりで、個人的にはほとんど食傷ぎみ。誰か、批判的になる必要はないものの、もうちょっと客観的な篠山紀信・論を書いてくれないかなぁ、と思い続けてはいるのです。

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余談

この増刊の最後には、『写真関係者名簿』があり、企業だけでなく、写真家、評論家らの住所と電話番号が掲載されています。こういうのを見て、「弟子入りさせてください!」というよなこともあった時代。隔世の感これあり。