
今でも使っているコーヒー豆のカン(UCC)の上蓋に貼られたシールに、「1987年 謹賀新年 GALLERY & STUDIO MIN」とあります。こんなカンを34年間も使い続けているのは、我ながら呆れますが、300グラムと少し大振りで使い勝手がよいのです。
今、このシールを見て、87年の正月は、ギャラリーMIN に勤めていたことを確信するのです。なので、おそらく、86年の夏の終わり頃に、ギャラリーMINの城田稔さんに誘われ、正社員として迎え入れられたのです。
ギャラリーMIN。正式には、GALLERY & STUDIO MIN で、地下にレンタルスタジオがあり、1階は写真ギャラリー、2、3階(4階もあったかも)は城田さんのご自宅。当時流行りのコンクリート打ち放し抜し新築。学芸大学駅から徒歩5分くらいの「目黒区鷹番」という地名にありました。今、GOOGLE マップで調べようとしたのですが、土地勘がまったくなくなってしまい、捜し当てられませんでした。「ギャラリーMIN やGALLERY & STUDIO MINなど」を検索しても情報は皆無に近く、やっと出てきたのは、「マイケル・ケンナの作品カタログ」で、製作者がギャラリーMINとなっているページだけ。代わりに、同じ学芸大学の駅近く 、「MIN jewelry & crafts」がヒットしました。2018年オープン。似すぎているなぁ・・。
GALLERY & STUDIO MINに初めて伺ったのは、1986年にフォトジャポンでアルバイトをしていた時のこと。編集部宛に、新しい写真ギャラリーのオープニングパーティーの招待状が届いたのです。当時、写真ギャラリーといえば、ZEITかp.g.i。他はメーカー系ギャラリー、そして若手写真家が自分たちで運営していた自主運営ギャラリーしかなかった時代。主にアメリカ西海岸の写真家を作品を紹介するという触れ込みで、たいへんにお金がかかっていそうな雰囲気の招待状でした。
編集部からは、高橋さんかどなたかが行くことになり、私は鞄持ちようについていきました。
いやあ、驚きました。
閑静な住宅街にそびえ立つコンクリート打ち放しの御殿は煌々とした明かりに包まれ、パーティ用に着飾った30~40代の男女が入り乱れています。その半分くらいは海外の方のようで英語があちこちから飛び交っています。お酒はワインがメイン。他のギャラリーのオープニングパーティーでは見たことも無い洒落た食事(後に、ケータリングとよばれることをしりました)が、ギャラリーのあちこちに置かれています。
まるで、写真の夢の国に迷い込んだような・・・。
展示されていた作品や作家の名はもちろん、他にどんなことが起こったのか、だれとどんな話をしたのか(多分恐縮してしまって、何の話もしていないはず)など、詳細はまるで記憶にないのですが、とにかくその豪勢なことに心を奪われました。
日本の写真は変わる! とさえ思ったことも確かです。
いきなり正社員に
ギャラリーMINのオープンが1986年。その頃はフォトジャポンアルバイト。この年の春ころにアルバイトを辞め、スタジオ・ハラに。そして半年でクビになります。他にすることもなくヒマなものだから、同じ東横線沿線のこのギャラリーにはよく遊びに行っていました。ZEIT FOTO や伊藤俊治さんの事務所に出入りするようになったのも、ころころかもしれません。
MINがオープンした時は、オーナー兼ディレクターの城田稔さんを筆頭に、アメリカの写真学校で出会ったという男性2人、女性1人(石渡さん)がスタッフとして働いていました。皆、英語がペラペラで、ブランド物のスーツを着こなしていて、私とは別世界に住んでいる人のように見えました。
で、夏ころに、内紛とうか、内部のゴタゴタがあって、スタッフの3人が辞めてしまう。後任に、橋本さん、中村さんという女性二人がギャラリーの担当、スタジオ担当に元スタジオマンであった男性2人が入ってくるという変化が起こり、ちょうどその頃に暇そうに出入りしいる私に城田さんが、「ここで働きませんか?」と声をかけてくださった次第。そうして、いきなり正社員に。
マジか? こんなことがあっていいのか、という不安と喜びがない交ぜとなり、さらに「スタッフ3人が同時に辞めたということは、何かあるかもしれない、警戒しろよ。」という思いが脳裏をかすめもしたのですが、他にやる仕事もなし、豪勢なギャラリーで働くのは面白そうだし、何がしかの経験になるはず、という打算もありました。