「未来への手紙」の更新は一昨年の10月で止まっておりました。会社勤めをしていたころの宿題を思い出していて、そういえばなんで会社を辞めたのか、を書き留めようとした途端に、何をどう書けばよいのかわからないまま、今に至ったのでした。
3月の早生まれの高専卒なので、21歳になって直ぐに会社勤めを始め、丸3年後の23歳になって直ぐに会社を辞めました。石の上にも三年とかいうのでもなく、仕事自体は面白くやりがいも感じていたのです。今にして思うにADHD的な性質があるものですから、書類仕事などはぜんぜん駄目で、2枚に1枚にミスがあって、係長や同僚にはずいぶん迷惑やら手数をかけましたが、それで大きく怒られたようなことはありません。左隣で仕事をしていた現社長の長井さんにもずいぶんからかわれました。しかし、自分としては、書類くらい間違えたところで誰かが訂正すれば済む、程度に考えていたのです。なので、結果論としては、みんなのために辞めてよかったよね、と思うところがないわけではありません。
そうそう、入社して発電所に配属された一年目は三交代勤務の運転係、二年目から保修課計測に配属されて2年。総計3年目で異動の声もかかっていたのでした。配属希望は伊方原発。ここは真面目な話、中学の頃にオイルショックがあって、これからはエネルギー問題だ、未来のエネルギーは原子力発電である、と信じ込んでいたのです。当時は、20世紀末には世界中の石油は枯渇する、なんて本がごまんと出版されていて、ずいぶん読んだものです。ノストラダムスは信じていませんでしたが、どっちもどっち。で、若い単細胞はこういうのに弱い。なので、本気で伊方原発に配属されることになっていたら、もしかしたら辞めなかったかもしれません。歴史に、もし、はありませんが。ケアレスミスの多い私が原発に配属されたらたいへんなことになっていたでしょう。むろん、こんな人間を重要な部署に配属する上役はいないでしょうから、自分自身が腐ってしまうことになったはずです。
ところで実際に決まった配属は、四国計測への出向でした。計測係から直接業務をお願いする協力会社で、ここの会社の人たちにはもずいぶんよくしてもらいましたから、出向が嫌、というのではありませんでした。いや、たぶん、辞めることを決めた後に配属が決まったのです。なので万が一、伊方に決まっていたとしても、後の祭りであったはずです。
辞める決断には、長井さんの後押し(?)があったことは前に書きました。が、辞めたい旨を井野係長に伝えた翌日だったか、出社して呼ばれた所長の部屋に、我が両親が来ていたことには、心底驚きました。「なぜここに?」と聞けば、「呼ばれたから」と。辞める相談は、両親にはしていなかったのですよね。事後承諾でいいやと。これがいけなかった、といえば、確かにそうなんですが・・・。
23歳ですよ。私。いくら馬鹿で頼りなかったとしても、会社を辞めることに対して、なぜ両親が会社に呼ばれるのか。そして、なぜ、のこのこ出てくるのか。
親心がわからない、というのではありません。所長の立場だって、わかるのです。だから実のところ、これらがわかってしまう自分自身に対しても苛立ちか残ってしまって、これがいかんともしがたかった。なので、この時点で自らの思いは「辞めるべきであった」という方向に傾いてしまって、気持ち的には後腐れが少なくて済んだともいえます。
会社を辞めたい、ということを具体的に思い始めたのは、最後の数カ月前くらいじゃなかったかと思います。その前は、「このまま一生、この会社に勤めるのか」という、なんともいえない不安にさいなまれていただけです。大企業ではあるし、入りたくても入れないともっぱらの評判の会社でもあるので、「このまま一生、この会社に勤めれば安心」との間で、心が引き裂かれるような状態になっていたことも確かです。もしかして、両親が幸福な会社員であったら、あるいは生まれた時期が10年ちょっと遅く就職難の時代に同じ立場に立っていたら、こうした意識はそもそも存在しなかった可能性も大きい、そのような問題でした。
つづく