
私が写真道場をつくった1994年ころは、個人写真館が周辺に数軒ありました。西口の斎藤写真館、武蔵小杉方面のシシドゴロー・スタジオ、日本医科大学前の写真工房いしばし(上の地図に残っていますが、元のスタジオはなくなってしまい、マンションの一室で営業しているみたいです。結構な高齢になっているはず。)あと、写真道場オープンの数年後くらいに元住吉あたりの着付け学院がフルフルというスタジオを始めました。当時、写真道場に来られていたフジカラーの方からフルフルの撮影指導をしてくれないか、というお声がかかったこともあります。着付け学院のトップは女性で、「ここで学ぶ皆さんは、御布施のようにお金をくださる。成人式にはここで着付けをして、スタジオまでピストン輸送して大儲けするのだ」というようなことをのたまうので、吐き気がするほど気分が悪くなって、指導料としては法外な見積もりを出したのです。その後音沙汰はなくなったけれども、フルフルというスタジオは完成ししばらく営業していましたようですが、10年くらい前には廃業してしまったのでしょう。ちょっと調べてみたら、その着付け学院も姿がありません。
斎藤写真館は、たしか20年以上前にスタジオを閉めたのですが、その時に写真学校の先生から電話がはいり「久門、知り合いのスタジオが閉店するから、欲しい機材があったら持っていけよ」というわけで、後輩を誘ってスタジオに入り、照明のレースやらスタンドやらお宮参り用のこども用のクッションや椅子なんかをいただきました。昔撮影したネガなども見せていただいたのですが、アントニオ猪木がポーズをとっている写真もありました。まだ残っていたら面白いのですが、どうなったでしょう。
シシドゴローは個人名であって、その筋では有名な方だったようです。フジカラーやコニカの現像所の方もよく知っていたようで、「いい写真を撮るんですよ」と時々話題にのぼりましたが、私としては古めかしい写真としか思えませんでした。10年ほど前に家内と、半分冗談、半分真面目に、一度撮影してもらおう、と予約をしようとして調べた半年ほど前に廃業していました。ずいぶんな年配な方だったので、もう少し早めに行っておけばよかった、とこれはいまでも心残りです。廃業して数年経ったころ、風のうわさで亡くなられたという話が舞い込んできました。仕事を辞めて数年で逝けるなんて、いい人生だったんじゃないかなぁ、とちょっと憧れます。
こうした次第で、古くからの個人写真館はほぼ壊滅状態です。何年かに一度くらいのペースで、近隣の写真館がなくなったからといって、写真道場に来られるようになったお客さんがいましたが、最近はこうしたお客さんもありません。完全に世代交代をした感じなのでしょう。
考えてみれば、写真道場開業30年で、当時私と同世代の家族のお客さんだったので、今では私たちの子供世代がメインになっています。こうした意味でも、確かに世代が一巡したのです。
ところで現在、写真館といえば「こども写真館」を指しますね。実は、写真道場をオープンした1984年は、「スタジオアリス」がはじめて屋号として登場した時代です。こども写真館にちょっと詳しく書きたいので、ここでは割愛しますが、上の図の写真館のいくつかの種類について簡単に説明しておきます。
●個人写真館
高度成長期以降、全国的に増えた地域の写真館。1980年後半からのこども写真館の進出、2000年前後のデジタル化、少子高齢化によって、多くの個人写真館は廃業または廃業予備軍化。写真道場は、独自路線と多角化によって対応。
●こども写真館
スタジオアリスが嚆矢。衣装替え自由、若い女性フォトグラファーの起用、季節などによるスタジオセットの変更、ショッピングモールへの出店など、写真館の新しいスタンダード。カメラ量販店、教育産業からも多く参入。個人経営の写真館でも生き残っているのは、ほとんどがこの業態を模して対応した。
●ハウススタジオ
韓国で流行していたスタジオハウス型の写真館が増え始める。空いている家屋をスタジオとしてリフォーム、ネットで集客(フォトグラファーも募集)するというビジネスモデル。また、屋外撮影の出張フォトグラファー(幼い子供を持つ家族、七五三、結婚式が主な対象)をネットで募集、ネットで集客するビジネスモデルも。
●出張撮影
ネット集客企業傘下か、個人経営。七五三などの子供と家族の屋外での記念撮影、結婚式などのカップル撮影(屋外)がメイン。2020年ころから流行り出したニューボーンフォト(新生児を自宅で撮影する)は個人経営が多い。
●自撮写真館
スタジオ設備だけを貸し出し、自分たちだけで撮影する、かなり新しい業態。1980年以降ブームになったプリクラを本格的にしたイメージ。若い人たちの、「人に見られることを意識せず、自分たちが思い通りに撮りたい」という要求に応えたもの。単純にいえば、本格的なプリクラ。