スタジオアリス以前は、町に個人写真館が数軒ありました。その例として上のページを出してみたのですが、よくよく考えたらこれらは婚礼写真であって当時は結婚式場で撮影するものになっていました。結婚式場の写真スタジオ(写場とよぶことが多かった)は、地域の写真館が入っているか、式場が契約したフォトグラファーが経営していたようです。
ちょっと別の話題ですが、結婚式場のスタジオに入るにはずいぶんな契約金が必要なのに、少子化(最近はコロナ)や結婚式の流行の影響もあって式場の経営が傾くと、フォトグラファーが式場の駐車場案内までさせられた挙げ句、いきなり閉館で契約打ち切りみたいな話もあったようで、これはもう悲惨としかいいようがありません。結婚式も変わりましたが、「結婚」そのものがこれから先どうなっていくのやら、というような時代です。少子化に加え、結婚しない人も増えているし。
で、町の写真館。証明写真と成人写真、七五三、お宮参り、入学、卒業、その他、家族の記念写真といったあたりが、定番の撮影です。前回触れましたが、写真のイメージは背景セットと衣装でほとんど決まるのが実態ですから、子供主体のお宮参り、七五三あたりは、レンタル着物と背景が完備したスタジオアリスの前では、ちいさな写真館は太刀打ちできません。成人写真も、貸衣装店やスタジオアリスの別ブランドが参入されると、これはもう完全に道は絶たれます。証明写真は、駅前のボックス写真でも美肌モードで撮れるし。
そうそう。上の婚礼写真を見て、新郎新婦が「真顔」であることに気付いた方は決して多くはないでしょう。昔の写真はだいたい「真顔」であって、「笑顔」はまれなので、そんなものだろうと思うはずだからです。しかし確かに当時は「笑顔で写ることは不真面目とか、媚びを売っているようで下品」といった感覚がありました。こうした考え方は今でも、証明写真や遺影を選ぶ際に名残をとどめています。証明写真は本人確認だから笑顔である必要なし、と強弁する人もいますが、いつも笑顔で真顔で写るとまったく本人らしくない、といった人も少なくありません。なので、証明写真は真顔で、というのは本人確認という本義よりも、真顔という形式を強制しているにすぎないのです。遺影もそうで、近い親族は笑顔の写真を望むけれど、ちょっと離れている親戚などが世間体を慮って真顔がいい、とかいって口を出すのです。
一事が万事、写真には古い常識がついてまわります。というか、写真は自らの常識というフィルターを通してしか「見る」ことができない、などと言い換えたら少しはアカデミズムっぽいかな。なのでこれから、スタジオアリス系の「笑顔」の写真ばかりが増えてきたら、今度は上のような「真顔」の写真が一周回ってカッコイイ時代になったりするかもしれません。
ともあれ30年前、それまであった町の写真館でない写真スタジオをやりたい、と思って写真道場を開いたわけですが、まさかここまで「スタジオアリス」的なイメージがここまで増えるとは想像していませんでした。「スタジオアリス」的というのは、貸衣装を選べる、笑顔で撮れる、といったビジネス的な方法もさることながら、実態としては、家族のイメージの「子供化」、そして「幼児化」という流れのことですが、これはまた次回あたりに詳しく。
考えてみれば、昭和の町にはカメラ店がありました。昔のカメラは撮影するのにノウハウが必要でしたからカメラに詳しい店主に教えてもらうということも必要だったのですが、カメラ自体が自動化され使い勝手がよくなり、量販店で安く買えるようになれば、町のカメラ店は必要なくります。ノウハウはカメラ雑誌から最新の情報が入りました。このように考えると、アサヒカメラや日本カメラ、CAPAといった雑誌は、カメラ店の敵でもあったわけです。
そうしてカメラ店はDPE(現像、プリント、引き伸ばし Development – Printing – Enlargementの略)のお店になってカメラは売れなくなり、カメラがデジタルになってDPEも必要性が薄れていき、結果、廃業という流れ。
暗いなぁ。話が。
でも、こうした変化の激しい時代にあって、20年くらい前から建て直しを図って成功したのは、自由が丘の「ポパイ」を代表とするファッション系のDPE・カメラ店です。今、町のDPE店でもこの業態を真似た店が増えています。写真館は? 平間至さんや鈴木心さんあたりがやっているのが、今の最先端でしょうか。