そうそう、30年前の個人写真館の「型」の話をしようと思っていたのでした。
写真道場を始めた30年前は、近所にも個人写真館が数軒あって、これは都心でも地方でもだいたい同じで商店街の一つの店舗として写真館があった、そんな時代でした。今は、商店街は力を失い、写真館もなくなりました。この間に何があったか? ということを問うには、当時はどのような時代だったかが起点として必要なのですが、これがやっと30年という月日の流れでわかり始めたような気がするわけです。
当時の写真館は、だいたい店主が二代目あたりの40~50歳でなかったでしょうか。ちょうど私より一回り上。時代も少しずつ変わっていることはわかっているけれど、先代からの遺産を引き継いでいるから、そこからなかなか自由になれなかったのではなかった。これをわかりやすくするキーワードが「型」です。結婚式、成人式、七五三、お宮参り・・。人生のイベントを写真館の写真で残す、という文化は、それぞれの「型どおりのイメージの写真」を撮る、ことを意味していました。カメラは既に普及していますから、自然体の写真は家族や友達と撮影すればよい、ということになりました。
着物の着方、祖父母、父母、子供の立ち位置、父親は父親らしく、母親は母親らしく、若い女性はおしとやかで可憐で・・。子供もちゃんとおとなしくポーズを決めて「型」どおりの写真に収まる。これが「普通」であるべきだったのです。
とりわけ、先代の頃(戦後の高度成長期)は、そうであるべき、というのと、そうありたい、という立場がこの「型」に集約されていて、これに対して異議申し立てをすることも、意義を感じることもなくてすんでいたのです。このベースになっているのは「正しい家族」のあり方であって、もちろんこれは皇室を一つの目標とする意識だと思います。(今でもこれを信望する党派や宗教の方々はすくなくないようですが。)
ここまで読んで、「そりゃ昭和のど真ん中じゃね?」と思われたとしたら、まことにその通りであって、30年前は昭和の終わりですから、上のような「正しい家族」の価値観がどうも怪しくなってきたころです。昭和の強権的なお父さんはほとんどいなくなっているし、いたとしても空威張りであることは誰の目にも明らか。女性も、ガマンの人生から離脱するのが当たり前になりつつあるし、「子供」は大人になる前段階というのではなくなり、一生子供のままでいい(親にとって、自分の子供は一生子供、という言い方がされる)というような・・。
なので、写真館の多くもこうした「型」ものの写真から脱却したい、とさまざまな試みをしていたのだと思います。事実、現像所の人や写真館の勉強会のようなものに参加しても、そういう声はよく聞いていました。「型」ものでない撮影を「カジュアル」撮影などと呼んで、こちらに力を入れていこう、というようなこともさまざまに模索されたのです(ここには広告や雑誌メディアの隆盛による個人イメージの変化も大きく関わっているはずです。この件、稿を改めて考えたく)。が、写真館で写真を撮り続けている人たちの意識は「従来踏襲」を望みますから、なかなか自由にならない・・・。とりわけ、写真館に来る若い世代にお金を出していたり、結果的に写真を渡すことになるのはその両親である祖父母なわけですから、どうしても保守的にならざるをえません。
なので、本気で「型」から脱却したいのなら、いままでの顧客を捨て、新しい顧客を呼び込む、くらいの荒療治が必要だったのでしょう。このように考えると、世の中全体の動きが「型」から外れようとしている中で、当時の写真館の人たちがどう抗おうが、やりようはなかったのだろうと思います。
ただ一つ、これに成功した唯一は「子供写真館」でした。先にいった、「子供は一生子供のままでいい」というような意識がベースにあって、家族の中心は「子供」であり、家族がありつづける根拠には「子供」があるべき、というようなこの国の文化に完全にマッチします。ま、ここは鶏か卵か、という話で、子供写真館がこういう文化をより強く支えてきたこともあるんじゃないかと思うわけですが。こうして成功したスタジオアリスのビジネスモデルは、他の写真館(変化できるくらいの規模があったところだけ)が模倣し、子供関連の事業をしている他の業種(貸衣装、教育、保育など)からの参入によって、今に至る、という次第。
ところで、時代は少子化じゃないの? というのが実は逆に働いていて、子供が少なくなっているから、両親の祖父母、結婚しない兄弟やいとこなどのお金がどんどん集まります。いやあ、よくでてています。本当に。
この撮影対象となる子供はまだ「自我」というのができていない頃であって、親のいうとおりになるかわいい盛りなわけですしね。なので、自分の意志をもちはじめるころになると、だいたい自分だけが人形のように扱われることに拒否反応を示すようになる子供が多いんじゃないかと思います。
いや、最近は成人すぎても親の子であり続けることに疑問をいだかない家庭環境が少なくないようです。実際問題として、スタジオアリス30周年ということは、スタジオアリスで育った子供が親になっているのですから・・・。ここ数年来、海外からの輸入で「ニューボーン撮影」という名の新生児の撮影が流行しはじめているのですが、子供写真ここに至れりといった感じ。
あんまり気持ちのいい言い方ではないのですが、子供の社会的役割を「労働力」「社会保障」「贅沢品」の3種に分けることがあります。昭和以前は「労働力(家族の働き手)」や「社会保障(親の面倒をみる)」としての役割が大きく期待されていたのが、経済的に余裕ができ、社会保障もまずまず整っていたことで、「贅沢品」になりつつある、といった意味合いです。教育費が高くつくようになったのも、その裏返しであると。もちろん格差が大きくなっていま現在ですから一様ではありませんが、スタジオアリス系の子供写真を見るにつけ、子供をまるでペットのように扱っているんじゃないかなぁ? と思わないこともありません。(ペットの方が子供より大事、という価値観もあるそうですが。)
というような次第で、平成30年というのは、平均寿命がだいたい30年くらい伸びた時代でもあって、これは身体的には大人が増え、高齢化したことを意味していますが、精神的には30年ほど子供の時代が長くなっただけなんじゃないか、という疑念を私は抱くわけです。
人のことをあれこれ言えた義理ではありませんが。