土門 拳(どもん けん)氏についてはこちら(wiki)。
1909年〈明治42年〉 - 1990年〈平成2年〉、80歳没。
『写真作法』は1976年。『写真批評』は1978年、『写真随筆』は1979年の刊行で、出版社は「ダヴィッド社」。
購入した『写真作法』は1979年の8版、『写真批評』は1980年の4版、『写真随筆』は1980年の2版で、順調に版を重ねています。おそらく、会社勤めが始まり、寮の自室を暗室にして、写真雑誌の月例コンテストに応募していた1981年頃の購入です。インターネットのない時代ですから、「写真」の知識は、雑誌か単行本、あとは写真店の親父くらから入手するしかありませんでした。単行本といっても、雑誌の広告で知るか、地方都市の大きめの書店で探すしかなかったのです。
当時既に土門拳氏は木村伊兵衛氏と並んで写真界の大御所として知られていました。1909年生まれの土門氏は70歳くらい。現役で知られる写真家といえば、篠山紀信、荒木経惟さんの時代ですから、まさに雲の上の存在でした。
今、改めて振り返ると、これらの本の内容は1950~60年頃ののアマチュア向け写真雑誌、「フォトアート(研光社)」や「カメラ(アルス社)」、グラフ雑誌などに氏が執筆した文章をまとめたもののようです。『写真作法』は写真撮影への取り組み方、『写真批評』はアマチュア写真のコンテスト評、『写真随筆』は交遊録、座談会を含むエッセー的な内容といっていいでしょう。
「絶対非演出、絶対スナップ」という標語でしられる土門拳は、写真におけるリアリズムを追求することで、1950~60年のアマチュアカメラマンに大きな影響を与え、写真界を牽引しました。ですから、これら三部作を読めば、氏の考えや影響力の大きさがよくわかります。これらも後知恵ですが、ここでいう「写真界」は、アマチュアを中心とした、という前置詞が必要かもしれません。
本の内容で具体的に記憶しているといえば、「大きな望遠レンズを安定してあつかえるように一升瓶で練習をした」とかくらいですが、全体を通して「カメラは冷徹なメカニズム。だから、被写体に演出を加えないことによって、真実をそのまま伝えることができるリアリズムに通じる。これを押し進めることこそが、写真の意義である」といったことだったことは、理解力の乏しい私にでもわかりました。
ただ、アマチュアがこれを実践したところで、メディアを通した「報道」にはなりえません。「ドキュメンタリー」という方向で考えてもよいのですが、コンテストのような1枚の写真では、文脈を作り得ないので、土門拳風のイメージが指向されることになるでしょう。あ、そういえば当時は3枚程度の写真で何かを伝える「組写真」という概念もありました。これは写真にテーマ性、あるいは文脈を(本書では「モチーフ」というような言い方をしていますが)をもたせるための一つの工夫だったのですが、それでもしかし「タイトルと写真だけ」で、何かを伝えるための目的を果たせるといった考え方そのものが、牧歌的に感じます。というか、そもそも、「自分なりの考え」を持つことが、果たして可能だったのか否か? と問われれば、そういう問いかけはなかったことにする、のが当時であったし、今もそうかもしれない、と思うのです。
さて、とにかくは1950年代の戦後復興期です。カメラ一台で家一軒とも言われたライカM3は1954年の発売。国産の中判二眼レフやスプリングカメラが普及しだした頃。カメラの操作は全てマニュアルです。富士写真フイルムは1946年に天然色写真(株)を設立。1948年にサクラ天然色フィルム(六櫻社)は生産を再開という、カラー写真の黎明期でもありました。一眼レフの雄、ニコンFは1959年の発売ですから、一眼レフブームの前夜。
この時代に、写真を趣味として始めるのは、お金持ちの道楽的な写真ではなく、戦後の民主主義と、高度成長期前夜の追い風を受けた男性諸氏。しかも、今風にいえば「意識高い系」といっていいかもしれません。ここに、土門拳の社会的なアプローチは、見事なまでに刺さる、はずです。さらに、写真界きっての名文家としても知られる氏の、骨太なのにやさしく包み込むような頼りがいのある文章は、さらに多くのファンを獲得していく大きな力になったでしょう。
「サロン」的な写真を排して、「リアリズム」を目指す。という大いなる目標と、その実践・・・。なんとなく、ちょっと宗教染みた指向。
単純な話。日常的に撮る写真ではなく、ちゃんと趣味やアートとして写真を始めようとしたとき、「良い写真とは何か?」 という価値観を身につける必要を感じます。写真の意味や意義、といいかえてもいいでしょう。だいたいは、「有名」であるか「俗耳」に心地よい方角に進んでいくことになるのですが、こういう迷える羊状態の写真初心者に、土門拳の文章や写真は、確かな羅針盤となってくれます。
しかしながら、私がこの本を手にしたのは1970年代のオイルショックの後、安定成長期に入った1980年代。先に書いたよう、現役で有名な写真家と言えば、アイドルのヌードで知られる篠山紀信に大股開きの荒木経惟だったわけです。「写真館」で撮るハレの日の写真、家族双六のような家族アルバムを形成する日常的な写真、そして新興勢力として登場した若い性を謳歌するメディアの写真・・。これらのどれにも嵌まらない「真面目な趣味」としての写真としてこれらの本に20~30年遅れて私は夢を見たのです。きっと。
1950年代を知る人が読むならまだしも、この本を「1980年の」写真のテキストとして読むことはもう、時代錯誤のそしりを免れないことだったのだなぁ、と今はちょっと距離感をもつことができます。しかし現在でも、土門拳・木村伊兵衛は、写真の本の定番テーマであり続けていて、彼らが偉大すぎるのか、時代が変わらないせいなのか、あるいは自分の立ち位置が変わってしまったのか、なかなか判断に迷う次第です。