写真道場から「遺影を撮りませんか?」とお声駆けした三十六人のポートレートです。ご年配の方だけでなく、若い人もたくさん。「死」は誰の身にも起こることですからね。というよりも、まだまだ死が遠いと思える若い方の方が入りやすいのかもしれません。相応の年齢になると自分では考えたくなくなりますし、回りからも声駆けできにくくなります。そうそう、ここに写真はありませんが、山本監督も写させていただきました。

20年という年月が経ちましたので、この時撮影させていただいた方の何人かは亡くなられ、これらの写真が使われました。お二方ほど、この時の写真が行方不明になって見つからなくてねぇ、というご報告もあり。いい写真を1枚準備する、というのでは、いざという時に役立たないこともあるのです。写真は複製していろんなところにばらまいておくのが一番です。

当時は「遺影」を撮るということはかなり特殊なことでしたが、20年経った今は遺影専門の写真館なども増えてきました。それでもまだまだ敬遠されがちなジャンルではあるようですが、葬儀は小規模化が加速し、家族も小さくなっていく影で、自分の死をちゃんと見つめておかないと、死に際の自分自身も、残される人達も大変、という現実がどんどん押し寄せてきています。

私は数年前から日本葬送文化学会に入り、「遺影の歴史」についても調べるようになって幾分知識も増えました。今は、「遺影」は葬式の時に使う写真というよりも、親族や深い知り合いの手元に残す故人の身代わりという具合に考えたほうがいいなぁ、と思っています。遺影は遺族にとって、故人が永遠に生きている証なのです。だから本人らしいいい写真が残っている方が、遺族の気持ちのよりどころとしてうれしいんじゃないかな、と。

遺影を撮ることは縁起でもない、という考え方を捨てて、素敵な写真を遺族に残しておいて欲しいものです。これが20年前から変わらない、私の気持ちです。

2 thoughts on “笑う寿像・展(1998年)

  1. アバター 山本弘子 より:

    今晩は、私の両親の写真を撮って頂きありがとう御座いました。
    両親が亡くなってもう20年以上前になりますが
    写真を撮って頂いたお陰まで元気な頃の両親に会えます。あの時、思い切って撮って良かったと思います。誠に有難う御座いました。

    1. 久門 易 久門 易 より:

      コメントありがとうございます。ご健在だった頃を時々思い出します。当日はフィルム撮影でしたね。自分でいうのも何ですが、お二人とも、とてもにこやかな、いい写真でした。まだ当時のフィルムは保管しています。

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