24歳。会社を辞めて2年目、 写真学校の2年生。退職金をはたいて初めての海外旅行でインドに行きました。『地球の歩き方』だけが頼りで、そのツアーに参加したのです。夏休み、1カ月の旅。

目的地はヒンズー教の聖地であるベナレス(ヴァラナシ)のみ。目的は「死」をこの目で見ることで、だからベナレスしか眼中にありませんでした。「死」を写真に撮るということではありませんが、これは今の私の仕事にも繋がっています。

当時買った初版本は未だ手元にあります。
右下のFOCOSは別のムックです。

旅立つ前年の1983年は、藤原新也さんの『メメント・モリ』(情報センター出版局)が出版された年です。この2年前には新潮社の雑誌FOCUSが創刊されています。今はもう過去のスキャンダラスな雑誌ですが、WIKIに「創刊当初は、有名写真家を使った芸術性の高い雑誌を目指したものの、低迷した。」とあるよう、それなりのクォリティペーパーだったのです。

記憶は怪しいのですが、創刊当時のFOCUSに掲載された藤原さんの「ニンゲンは人に食われるほど自由だ。」というコピーと写真は、二十歳頃の若人の人生を変えるくらいの刺激がありました。

写真学校の同級生には、「インドは怖いところで、カースト制のせいで乞食の親は子供を乞食にするために手足を切ったりするんだよ。日本人観光客の女の子が誘拐されて行方不明になり、後に両親が子供を探しに行ったら、両手両足を切られて乞食にされていたんだ。」などと恐怖のアドバイスを受けるような時代と環境でした。怖かったなぁ。ほんと。

『地球の歩き方』は往復の航空券だけ手配してくれるもので、他のサービスは一切なし。それこそ、自分の足で歩け、という。飛行機で一緒になったのは、同世代のいろいろな学生・会社員など。出発前にベナレスで会おう、とかだけ約束して、携帯電話もない時代に現地で落ち合ったりして。

インドに行ったら、現地の水は飲んだら駄目、氷も駄目、と、今でもいいますが、愚かな私は同じ「自由なニンゲン」だから平気だろうとガブ飲み、10日目あたりで天罰のようにお腹を壊したのです。(帰国時、成田でアンケートに体調を壊した旨を報告したら、川崎の自宅に帰り着いた数分後に保健所の担当が訪ねてきて、検便をしろ! と。いやぁ、本気ですばらしい連携プレイだと思いました。私のようなバカを相手にいい仕事をして下さりました。本当にありがとうございます。結果、感染病ではありませんで、民間病院で腸炎の診断をくだされた程度ですみましたが・・。)

ともあれ、冒頭にインドって酷いところみたいなウワサを書きましたが、現地で会った日本人の女の子たちはたくましく、現地の人に声を掛けられ自宅にお呼ばれ、そのまま、ついて行ったのだそう。どうなることかと聞いているこちらが心配になってくるのですが、運良くかなり階層が上で、かつ良心的な方だったようで、とても盛大な歓待を受けたのだそうですよ。まあねぇ。結局、人生は本人次第、運次第なんでしょうね。

下の写真は、この時に撮影したもの。カメラはプラウベル・マキナ。フィルムはTMAX400。印画紙はイルフォードです。

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