1984年。私、23歳。高専卒の20歳で就職し、丸3年目の春に退職して上京、日吉にある東京綜合写真専門学校(夜間)に入ったのです。その年、日々の写真を撮って一冊にまとめる、という夏休みの宿題で作った写真集です。主に田舎に帰省して撮影した写真で構成しています。「日録」という呼び方をしていました。宿題とはいえ、今にしてみれば最高の思い出になる写真集になりました。

写真は、整理してまとめておくべきですね。ばらばらの写真だったら、残っていなかった可能性が高いです。モノクロフィルムは多分、コダックのトライX。印画紙は、三菱の「ヒシコピーCHペーパー」。そのまま製本できる薄手の印画紙で、これは学校の指定でした。

当時は未だ瀬戸内海大橋が架かっておらず、高松~宇野をフェリーで渡っていたのでした。宇高連絡船ですよ。船の中で立ち食い讃岐うどんが販売されていて、ほとんど素うどんなのですが、それが却って旅情をかきたてる美味さでした。最後の写真に出てくる画面中央の男性が食しているのがそれです。乗り継ぎが悪いと、川崎~西条まで10時間かかることもありました。もはや外国ですな。

登場しているのは、学生、会社員時代の知人たち。それと新居浜、西条の街中のスナップ。山は四国の霊峰「石鎚山」、1982mです。なんとなく年度と近い数字でしょ。余談ですが、1982年に銘酒「石槌」が標高と西暦を掛けた特別バージョンを販売していました。石槌山の伏流水が「うちぬき」とよばれる自噴井(地面にパイプを10メートルくらい打ち込むだけで、水が吹き出してくる)から吹き出してくるのです。だから西条市は水の都。

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