渋谷パルコで開催された「期待される写真家20人展」の私の作品。
左からニューヨーク、ニューカレドニア、バリ島の写真。
幅1.5m、高さ1mのバライタ紙のプリントです。
プリント製作はドイテクニカルフォト(現・フォトグラファーズ ラボラトリー)の斎藤さん。
額は自作。アクリル板はpgi経由で買ったのでした。

約30年前の1990年。渋谷パルコが開催していた「期待される写真家20人展」の2回目の一人に選出されてこの展示会に出品し、カタログにも掲載されました。NHKのニュースでも取り上げられ、私もちょっとだけ取材されました。ちょうどオープニングパーティの時で、いい背景がないからという理由で、トイレ入り口の緑の前で収録されたのです(どこかにビデオがあるはずなので、発掘したら掲載します)。

さて、この写真展。企画者として高橋周平氏の名があります。氏は、福武書店から出版されていた「PHOTO JAPON」の元・編集者で、私自身もずいぶん懇意にさせていただいていた方です。

ここで本題から離れますが、「PHOTO JAPON」の思い出を少し。

フォトジャポン創刊号。 写真道場に置いていますので、見たい方はお越しください。

PHOTO JAPON」は、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)がフランスの「PHOTO」という写真雑誌と契約し、その日本版という位置づけで出版した写真雑誌です。創刊は1983年11月。そのとき、私はまだ会社員でした。

2年半後の1996年春、私は東京綜合写真専門学校の本科を卒業して研究科に進んでいました。そして教務室で写真集を見ていた時、講師で写真評論家であった平木 収氏に「写真雑誌の編集のアルバイトをしないか?」と声を掛けられたのです。それは本当に偶然のことで、平木さんにしてみれば誰でも良かったのだろうと思います。そのアルバイト先が「PHOTO JAPON」編集部で、電話をして九段下の福武書店で出会った面接官が高橋周平氏でした。「これからは歌って踊れる編集者じゃないと勤まらないよ」と言われたことを今でも覚えています。

PHOTO JAPON」は、欧米で知られる写真作品に日本の写真家の写真をくわえたような中身で、結構とんがった紙面でした。今でもそうですが、日本の写真雑誌は、カメラなどの製品の宣伝と読者の写真コンテストがメイン。「PHOTO JAPON」にはカメラの広告こそありますが、製品紹介的な企画も、読者コンテストもありません。しかし(だからこそ)、売れ行きは伸びず、PHOTOとの3年契約が終了する1986年10月号をもって休刊(事実上の廃刊)となります。

高橋氏はこの雑誌編集が契機となって「写真」に対する思い入れが大きくなったのでしょう。休刊をもって退職。フリーランスの編集者、写真関係のプロデューサーのような仕事を始めます。で、その一つの成果が渋谷パルコで開催された本展示回および写真カタログという次第。氏とは「PHOTO JAPON」編集部アルバイト以降、いくつかの仕事をご一緒させていただいたこともあり、「期待される写真家20人展」の2回目をやるので応募してみない? とお誘いを受けたのがこの写真展に参加したきっかけです。

初回、2回目を通じて「期待される写真家20人展」の入選者の名を見ると、今でも活躍している写真家も少なくなく、写真美術館のキュレーターになった方などもいたりして、写真業界的にも十分な意味のある公募展だったのだなぁ、と思い返します。多少、身内感を強く感じるのは、私が同じような環境に身を置いてきたからなのでしょう。

あ、そうそう。この展示会がきっかけでいくつかとてもよい仕事に恵まれました。CREAという女性誌で、山田詠美さんのニューヨークでの結婚式の写真を撮影しにも行ったのもよい思い出です。下の2点。フジのGX680で撮影しています。

ニューヨーク、ハーレムの教会で行われた結婚式の一こま。
右から2番目のメガネが約30年前の私。

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