大島 洋さんのこと

大島 洋さんの「平島集落地図」トビラ

写真は、大島 洋さんの「平島集落地図」のキリヌキ。年代がわからないのですが、1970年代には違いありません。

鹿児島県鹿児島郡十島村大字平島吐噶喇(トカラ)列島。屋久島と奄美大島の間にあるちいさなちいさな島。現在の人口64名。31世帯。観光案内はこちら。「古の習俗が息づく、平家伝説の島」とあります。

1970年代に氏はここを訪れ、地図を作り、住民全員の写真を撮影しています。この写真と撮影の経緯を記したのが、この記事。

面白いんですよ。本当に。しかし、だからなに? と自分に問いかけても答えがよくわからない。

正直、よくわかんない方なんです。

1944年岩手生まれ。1980年代に写真評論誌『写真装置』を創刊・編集。1987年に写真集『幸運の街』を”写真公園林”から発行。『写真幻論』(1989、晶文社)、『ハラルの幻—ランボーを追ってアデンまで』(1992、洋泉社)『アジェのパリ』(1998、みすず書房)、編著『写真家の時代』(1993-、洋泉社)などなど、写真関連の著書がたくさんあるのですが、さて、これらを通して、いったい何と言えばいいか・・・。

時、折しも、バブル全盛期。1980年代後半。ニュー・アカデミズム真っ盛りの時代。小難しい本が流行っておりまして、なんとなくわかったフリをしつつ流行りの本に手を出しまして、その中に『写真装置』もありました。

でもって、フォトジャポン編集部アルバイトの流れで、伊藤俊治さん、高橋周平さん、北島敬三さんらが青山に構えていた事務所に顔を出していたのですが、ここで大島さんに何回かお会いし、お話もさせていただた記憶があります。たいへんに人当たりのよい方で、写真についていろいろお話をしたのですが、その内容はきれいさっぱり忘れてしまいました。

他に、カメラ毎日のキリヌキに『大島洋写真展「三閉伊」始末』というインタビュー記事もあります。三閉伊は、”さんへい”と読み、「岩手県北東部の四分の一を占める上閉伊郡、下閉伊郡、それに九戸郡を加えた一帯の古い俗称」だそうで、弘化4年(1849年頃)と、嘉永6年(1854年頃)に、大きな百姓一揆があったそうです。「凶作で娘たちが身売りされていった東北の多くの村や町の、その中のありふれた一山村であり・・・」

正直、よくわからないんですが、大島さん、この三閉伊の一軒家で写真展を開催。「7カ月で5人の人が見てくれた」というインタビュー記事。

よくわからないから切り抜いていて、捨てられないまま今にいたっています。

あ、ちなみに、新型コロナで一躍有名になった「アマビエ」は、”弘化3年(1846年)4月中旬に現在の熊本県にあたる肥後国海上に出現したとされる日本の妖怪”だそうですよ。

つづく

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