これまで少し話題になった雑誌「太陽」といえば太陽賞。この賞は、会社を辞めようかどうしようか迷いに迷っていた頃、写真屋の親父に「プロ写真家への登竜門」と聞かされ、かなり気になっていたものの一つです。

第1回受賞は、荒木経惟さんの「さっちん」。当時から荒木さんは有名でしたしね。
第8回は、土田ヒロミさん。そうそう、会社員だった22歳頃、アサヒカメラ主催で愛媛県の大洲に開催された写真撮影&勉強会の講師として土田さんが招かれていて、一泊二日のそのイベントに参加したのでした。プロの写真家を目にするのは、生まれて始めてのことで、本当にワクワクししました。後に入学した写真学校の先生でもあったのですが、このことを伝えると「そんなの知らない。覚えていない。」と、けんもほろろな対応にかなり幻滅してしまいましたが。

調べ直して思い出したのは、第20回太陽賞、横山良一さんの「リバーロードのラフィキ」で、黒人の友達を写したガチガチのコントラストのモノクロ写真。パワフルでかっこよかったなー。ラフィキは現地語の「友達」で、アフリカかどこかで撮影した写真だったと思います。リバーサルフィルムをネガ起こししてモノクロプリントにして、コントラストを高めたという作り方も感動モノでした。当時は、まったく想像もつかなかった技術でした。

そしてもう一つ。この年の太陽賞の候補になったものの残念ながら賞には届かなかった数人も紹介されていて、そこに岩月 尚さんもいたのでした。タイトルは確か「夏のお嬢さん」。同い年だったので、なおさら記憶に残りました。不思議な縁はあったもので、数年後には彼と友達づきあいするようになるのですが・・。

太陽賞は写真学校ぐるみで受賞に向けて力を入れていました。第21回は研究室の吉江真人さんが準太陽賞。翌年の第22回は講師だった大西みつぐさんの「河口の町」。大西さんは、私が入学する時の面接官でもありました。「電力会社に勤めているそうだが、大丈夫なのか?」と聞かれたことを覚えています。ごもっともなご意見ですね。ハイ。よく覚えていないのですが、受験した頃はまだ辞職願は出していなかったのかもしれません。

写真の賞をまとめてみた

写真の賞・リスト

さて、ちょっと気になって写真の賞という賞を整理してみました。表は、開始年順にしています。

戦後間もない1950年代には広告系の写真の会ができ、その賞ができています。まさに高度成長期を準備した世代になるのでしょう。

64年の太陽賞は、雑誌「太陽」のようなグラフジャーナリズムがまだまだ元気だったころ。だから、報道系の写真の賞として、「登竜門」足り得たわけです。

木村伊兵衛、伊奈信夫、土門拳、林忠彦という錚々たる写真家の中を冠にした賞は、彼らが亡くなってから、その顕彰も目的として、新聞社、カメラメーカー、市、が作った賞。木村伊兵衛のアマチュアリズム(といっていいのかどうか)、土門拳のリアリズムといった具合に、それぞれの写真家の作品傾向が引き継がれることになります。

東川賞、フォトシティさがみはら賞は、町おこしの一環。東川賞ができた時は、写真学校の2年で、評論家の先生に見てもらうコーナーに作品を送りました。当時、写真学校で教鞭をとっていた平木 収さんが、評論家の一人として参加していて、後になって「北海道まで行って、なんで久門の写真などを見なきゃならんのか・・」と笑いながら言われたことを覚えています。

東川賞以降、日本はバブル景気に沸き立ち、大企業の多くが「文化メセナ活動」で、若手の芸術活動にずいぶんお金を回しました。コニカ写真奨励賞は一人だけ受賞で、作品制作費として300万円くらい貰えたんじゃないかなぁ。私も応募しましたが落選。その時の受賞者は、港千尋さんでした。

新聞社が主催すれば報道系に偏らざるを得ないし、カメラメーカーは「作家」活動を支援しその作家が自社製カメラを使ってくれれば宣伝効果が大きいし、と考えて、あれ? 富士フイルムがないぞ、と思い至るわけですが、こちらは全国の写真館とアマチュアが上顧客であることからすれば、写真館のコンテスト、アマチュアのコンテストに力を入れていることも、筋としてよくわかります。

賞というと優秀な人に権威ある組織が与えるものではあるのですが、1980年以降は、若手を支援することと、その会自体の存在を社会にアピールすること、に重点が置かれつつあるように見えます。もちろんその意義は認めますが、これらの賞の一般的知名度の少なさを考えると、果たしてどれだけ若手の支援になるのか、いささか心もとない感じがしないわけではありません。

さてはて、コニカとニコンサロン主催の賞はもうなくなりましたし、アサヒカメラがなくなって木村伊兵衛賞はどうなるんだ、とか。ニコンは景気がよくなさそうで伊奈信夫賞はどうなるんだ? などと考えるのはあんまり精神衛生にはよくないです。もっとも、これだけ数多くの賞があることすら、ほとんど忘れかけていたり、ぜんぜん知らなかった私も私ではあるのですが。

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