『写楽』1980年6月 創刊号

『写楽』は”しゃらく”ではなく、”しゃがく”と読みます。創刊は1980年6月号なので、5月発売。私、19歳の高専5年になりたて。たしか新聞で創刊を知り、発売を楽しみしていて本屋で「”しゃらく”はどこにありますか?」と訪ねたら、本屋の店員が一瞬戸惑い「それは”しゃがく”と読むんだよ」と訂正してくれました。

本文176ページで、390円。ほとんどカラーです。安い!

表紙は森下愛子さん。きれいですねぇ。

wikiによれば、コンセプトは、「音を楽しむように写真を楽しむ」だそう。

「紙面は、『アサヒカメラ』や『コマーシャル・フォト』といった当時の既存のカメラ雑誌や写真雑誌、及びそれらの専門誌とは差別化を図り、マニアックさは目立たず、いわゆる写真週刊誌的なビジュアルスキャンダル性とゴシップ記事が主で、趣味性・娯楽性の高い読み物としての記事の割合が多くを占めた。大半がカラーページで、特に後期のものはほぼ全体がそうだった。既存のカメラ・写真雑誌が毎月20日発売なのに対して、25日発売として差をつけていた。」

ここには触れられていませんが、「アサヒカメラ」や「日本カメラ」との一番大きな違いは、コンテストのページがない、ということ。写真撮影のノウハウもほとんど皆無です。わかりやすくいうなら、青少年向けの健全なエロ本。それを担保していたのが、篠山紀信の”健全なヌード”だったのだなぁ、と今にして思います。

当時は、そういうことは考えず、ただ若い女性の裸が見られて、真面目なのも不真面目なのも含めて興味が沸く情報が満載で面白いなぁ、といった感じだったはずです。

シグマの交換レンズの広告

パラパラとページを繰ってみて、あ、そういうことか、と腑に落ちたのがこれ。シグマの交換レンズ「ハイスピード・ズーム・イオタ 80~200mm」の広告。50000円(当時はもちろん消費税なし)。ハイスピードというのは、いわゆる直進ズームのこと。ズームを調整するリングと、ピントのリングが一つになっていて、前後でズーム、回転してピント合わせができます。この頃は大変に流行っていましたが、今は絶滅しているんじゃないでしょうか。速いんだけど使いにくいってことかなぁ。

いや、話はそうでなくて、このキャッチコピー。

父は標準で満足していた。
僕はシグマを持って旅にでる。

かつて、カメラと言えば、一家の長であり、機械にも強い「父親」が所有していた大人の遊び道具でした。これが1980年には、男の子の遊び道具になっていた、その証のように感じられたのです。

キヤノンAE-1(1976年発売)の成功で、一眼レフが一気に普及した1970年代後半。2度のオイルショックはあったものの、子供の世界は比較的穏やかでした。ちなみに、四国電力伊方発電所1号機は1972年に認可され、1979年に運転を開始しています。まだまだ、原子力も日本の未来も明るかった。このころカメラユーザーが大人の男性から、青少年男子に移り変わっていったのです。ちょうど私の世代が大人への階段(?)を昇り始めるころでもありまして、まあ、まるっきり時代に歩調を合わせてきたのだなぁ、としみじみ。

もう一つ。1990年後半より「女の子写真(ガーリーフォト)」の旗手として知られるHIROMIX(ヒロミックス)は、AE-1発売と同じ1976年の生まれ。1990年の後半には、カメラが女の子の遊び道具になっていきます。

総じてみるに、カメラが安価に使いやすくなっていく毎に、それを使うユーザーが「大人の男」→「青少年男子」→「若い女の子」と変化し、それぞれの時代のユーザーに合った「写真表現」がもてはやされてきた、とも言えます。話はずれますが、上のキャッチコピーの「旅」も今や死語に近い気がします。今は「観光」。そして、「女の子写真」は自分の周辺数メートルしか写さない写真と言われていました。

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