「PHOTO JAPON」の内容については、あんまり大きな思い出はないのですが、目次をパラパラ見直すと、懐かしい名前にたくさん出会えます。

飛ぶ鳥を落とす勢いだった写真評論家の伊藤俊治さん。フォトジャポンが休刊してしばらくしてから、高橋さんなどと作っていた青山の事務所に出入りさせていただき、たいへんお世話になりました。

平カズオさん。写真家。編集部にお越しになられた時は本当に気さくに話をしてくださり、エロ話とバカ話でゲラゲラ笑いました。今調べてみたら、2006年に亡くなられていることがわかりました。残念。

長谷川祐子さんとも仲良くさせていただきました。今は金沢美術館だかの館長ですよ。

金子隆一さんは、写真学校の先生。坊さん。飯沢耕太郎さん。神蔵美子さん・・・。

今のようにインターネットがない時代でしたので、アルバイトとしての私の仕事は文字原稿や写真やイラストの原稿を先生のところに行って受け取ってきたり、写真ギャラリーで開催される写真展のスケジュール表を作ったりするようなこと。電車に乗っては原稿を棚に忘れ、スケジュール表は間違いだらけという酷いアルバイトでした。でも、みんな優しくしてくれました。

ゼブラの写真を撮影していた内藤さん、ゴローインターナショナルのゴローさん。原稿を受け取りにいく先々で、優しく対応していただき、面白い話をたくさん聞かせてもらいました。インターネットがない時代ならではの仕事です。

編集長の名前がなぜか思い出せません。顔は思い出せるのに。副編集長のマキタさん。セイヤマさん。キタオリさん。ふと思うに、私が還暦ですから、皆さん既に定年を迎えているのです。そう思うと、本当に昔の話。

 

 

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