ニューヨークの緯度は青森くらいなんですね。青森も寒いはずですが、住んだことがないので実感はまるでありません。でも、「冬のニューヨークは寒いよ」と言われて相応の準備はしていったはずです。が、このあたりはあんまり記憶にありません。

飛行機の中では、韓国ビールを呑みながら、四方田さんから、昔のニューヨークは怖かったという話を聞かされました。これは北島さんの写真集『ニューヨーク』に見る乱暴さと重なり合い、そういうところにこれから私は行くのだ、と多少は血気盛んな若さもあり心を踊らせたものです。

ラガーディア空港からタクシーで四方田さんと共にマンハッタンに入りました。北島さんから教えていただいた住所は四方田さんに見せてあって、当然英語もしゃべれる四方田さんですから運転手にそのまま伝えてくださったのでしょう。四方田さんは別のホテルで、私と北島さんはアパートを借りて住むことになっていました。

タクシーは真冬の深夜のマンハッタンを走り、あちこち曲がって、どこかしらない場所にあるアパートの前に着きました。四方田さんには、アパートのドアを開けて一緒に入ってみて、「狭いねぇ。でも大丈夫だよ。」とかなんとか、くらいの案内はしてくれるものかと期待はしていたのですが、さにあらず。「ほら、ここだよ。」と言われてタクシーを降りた途端、ドアが閉まったかと思うと、ほとんど挨拶もないままタクシーは走り去ってしまったのです。

その見事なまでのそっけなさに、正直いうと一瞬、四方田さんの人格を疑いました。

が、次の瞬間、「あ、この人は怖いんだな。恐れているいるんだな。じゃあ、仕方ないか。」と無理やり自分を納得させたことを覚えています。

アパートはブロック造りといっていいのかな、映画でもよく見るニューヨークの風景に写っているのと同じ。似たようなグレーのブロック造りのビルが並んでいて、それぞれのアパートの入り口が5~6段の階段になっています。日本的には贅沢に見えますが、庶民的なレベルのそれなんでしょう。正面のドアを入ると、左側にそれぞれの部屋のドアがあり、中は、4畳くらいのキッチンと8畳くらいのワンルーム。ワンルームには、厚さ20センチくらいのマットレスが二つだけ。布団類の記憶がないので、その上で寝ていただけかなぁ。食器類もありません。ここまでわかると、庶民的というよりも、やや下層階級的ではないかと感じましたが、セントラルヒーティングの暖房は十分に効いていて、どの部屋も快適でした。

後で知ったのですが、北島さんの知り合いがニューヨークにいて、そのまた知り合いが所有しているアパートで、ここを又貸しして収益を出しているのだそう。数年前から日本でもはやり出した「民泊」みたいなものでしょう。

私と北島さんは、ここで1カ月ほど暮らす予定でしたが、北島さんはまだ入院中。

北島さんを待って

翌日から数日、四方田さんがどこかを案内してくださったのかもしれませんが、覚えていません。始めてのニューヨークをブラブラしていただけかもしれません。キッチンに食器類がなかったので、フライパンとナイフ、フォーク類はどこかで買ったはずです。これらはもったいないから、日本に持ち帰ってしばらく使いました。

どこに行くつもりだったかは覚えていないのですが、バスに飛び乗ったのです。中でお金を払うんだろう、くらいな日本の感覚です。そうしたら、「運転手が何か出せ、料金を払え」的なことを英語でいうので、彼の目に入るよう財布の中から多めの10ドル札を取り出そうとしました。でも、「それじゃない。何かをだせ。」みたいに言うのです。よくわからなくてあたふたしていたんですが、まあ乗客にしてみたら物知らずの東洋人がトロくてイライラするわぁ、といった感じでしょう。すると、乗客の一人の妙齢の女性が、「これが必要なのよ。あんた持ってないの? じゃあ、私が出してあげる。」というようなことを英語でいいながら、硬貨とは違う、銀色のコインのようなものを出してくれました。お礼にお金を払おうとしたら、片手を横に大きく降り、「いらないわよ」的な。

このコインは「トークン」 といい、バス乗り場や地下鉄の切符(切符はなくてトークン)売り場で買っておき、一回乗車の度に1個を支払うしくみだということを、これで知りました。

そうそう、ニューヨークに行くことを、フォトジャポンで記事を書いていたキタオリさんに話をしたら、オオヤさんという知り合いの女性がいるから現地で会えばいいという話になっていたのです。

多分、公衆電話で連絡を取り、中華街で食事をしました。彼女もアート系の職に就きたいと奮闘している一人であって、写真の話などで結構盛り上がったのですが、このトークンの話を笑い話として持ち出したところ、「何も知らないままニューヨークにくる、そういうバカがいるのは大変迷惑」と、本気になって怒られれました。正論ですけれどね。でも、なんでそこまで怒られなきゃならんのか。いろいろ調べたところで、現地にいけば知らないことにも出会うだろうし、そういうのが旅の醍醐味だろう、という考えから私は抜けきれません。

写真話でいうと、「日本で写真をやっているといろいろ大変。世の中が間違っていると思うことも多々あり。」というような愚痴を話したら、「なぜ、あなたが写真界全体の責任を負っているような考え方をするの? 」と言われて、これまた正論攻めではあるのですが、妙に納得し、「そりゃそうだ。」と。しかしこれをどう返せばよいのかわからず、しばらくボーッとしていたはずです。しかし、この一言は自分の中で次第に大きく意味を持ち始め、いろいろ面倒なことがあっても、上手く行かないことがあっても、「それを自分で全て引き受ける必要はない。」と割り切ることができるようになったことは事実です。この一言は、本当に感謝している次第。

そうこうしながら数日が経ち、確か3日遅れくらいで北島さんが追っかけやってきます。

 

 

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