左の写真は、先月送られてきたCAPAの6月号。今日明日には7月号が届くかな。10年以上、CAPAの仕事はやっていないのですが、律儀にずっと送り続けていただいています。

見ていただいてわかるよう「ヌードの特集」が組まれていて、これはかなり意外で、驚きました。1981年に創刊されたCAPAは、「高校生の向けの写真/カメラ雑誌」でして、なのでヌードを取り上げるということは、基本的に無かったはずです。最近は、ときどき見かけるようなこともあるような気がしないでもないのですが、覚えがないくらいでして、表紙にこう堂々と「ヌード」なる文字が出ることはなかったはずです。

すでに休刊になった、アサヒカメラや日本カメラは、基本的におじさん向けの雑誌ですので、ヌードを取り扱うことはそれなりにありました。だいたいをいうと、梅雨時期の6月号は雑誌の売り上げが落ちます。また、ヌード特集を組むとそれなりに売り上げは伸びる、ということで、6月号あたりにヌード特集が組まれることは、ほぼ習慣化していたのではないかと思います。

それがCAPAに及んだ、というのは、他のカメラ雑誌がなくなって、この読者層を取り込むということにも貢献するのかどうか・・・。

とにかくは、創刊当時は15~18歳の高校生をメインターゲットにした雑誌ですが、1990年台になると、もともとの読者層がそのまま歳をとるのに加え、リタイヤをしてからカメラを趣味で始めたり、高齢の方々が散歩がてら写真を撮って健康増進に役立てる、という層が増えてきます。年齢を重ねてから写真を始めると、アサヒカメラや日本カメラはハードルが高いため、何事もやさしく説明するCAPAの読者になる、ということが増えていたようです。なので、この頃の平均読者年齢を編集部に聞いたら30歳後半、という答えが返ってきました。

今は40歳を超えているんじゃないかなぁ。今の高校生が一眼レフやミラーレスを買って、パソコンを使い、プリンタで出力する、などというのは金銭的にもムード的にも考えにくいです。スマホを使ってインスタでしょう? だいたいは。

また、2000年を越えてしばらくの間は、フィルムカメラが一般的でしたし、現像所もまだまだありました。現像、プリントを人任せにでき、カメラの自動化が進んだことで、写真はシャッターを押しさえすれば楽しめました。つまり、いいカメラ、いいレンズを買えば、それなりの結果がついてくる次第で、お金に余裕がある年配の方々の贅沢な趣味として定着したことは確かだと思います。しかも、この世代の人たちは、「先生に教わること」や「序列化」が好き。同じような仲間で集まるのも好きなので、地方地方、あるいはジャンル毎に「先生」を立ててあげれば、カメラもフィルムも売り放題だっという事情もあるはずです。スマホがなかった時代は、カメラや写真は、まだまだ「特殊な技術」として世の中に認知されていたということも大きいでしょう。

デジタル化、および、スマホの普及は、カメラやフィルムメーカーとカメラ/写真雑誌、写真クラブ、カルチャーセンターなどの、これまでの蜜月をジワジワ壊していったのでしょう。これに追い打ちをかけたのが、新型コロナですが、見方を変えれば、変化の速度を速めただけなのでしょう。

ここはもう、CAPA には最後の力を振り絞ってでも頑張っていただいて、カメラ/写真趣味の火を消さないようにしていただきたいものです。

「明るい暗室」

CAPA特別編集「現像・引伸ばしがすぐできる『明るい暗室』」は、1993年10月1日の発行です。1989年12月にスタートした暗室講座の連載が3年を迎えようとしていたころ、これまでの記事を一冊にまとめようという企画が高田さんから持ち上がりました。結果的には、92年9月号までの記事で、連載名は「種牛くんの暗室講座」「久門 易の明るい暗室講座」「種牛くんの暗室指南」のだいたい3年分になります。

「単行本」ではなく、「ムック」という扱いでした。雑誌コードの取得とかなんとか、出版事情によるもの。1989年に地球の歩き方「ニューカレドニア・バヌアツ」をほぼ一冊丸ごと仕上げた経験はありますが、本の全体の内容・構成・台割りから初めて一冊をまるごと作る経験はこれが初めてでした。もちろん、編集やデザインは人まかせですが、ほとんど好きに作らせていただけたのは、大変よい経験になりました。

「明るい暗室」は、局長だった阿部さんの考案。パソコンで画像をいじれるようになり始めた時代で、フォトショップのことを「明るい暗室」にたとえることもあり、個人的には少し抵抗がありましたが、ロラン・バルトの「明るい部屋」のもじりみたいでもあって、まあ、いいかな。と。

掲載している写真部は、関東首都圏が多いのですが、岡山、山梨、名古屋、福島、福岡、京都など、18校。連載中はもちろん、このムックにも学生の顔写真はたくさん掲載しています。個人情報がとかくいわれる今日では、これはもうアウト! でしょう。おおらかな時代でした。

かわいいイラストは五條さん。

たしか、高田さんによれば2万部くらい印刷し、数年をかけてすべて捌けたように覚えています。

「暗室完全マスター ハンドブック」

「暗室完全マスター ハンドブック」は、1996年6月の刊行。

「明るい暗室」からも連載は続いていまして、結果的には足かけ5年になったんじゃないかなぁ。そうして「明るい暗室」がだいたい捌けたころ、本をリニューアルしようという話がもちあがりました。これも高田さん。

「明るい暗室」には、高校生の顔写真や、彼らの作品も数多く掲載していて、これが身近が手作り感になっていて、個人的には好みだったのですが、これらをなくし、もう少し洗練させたガイドブックにしよう、という案でした。連載の内容もこれに合わせ、高校への取材をせず、モデル撮影を増やしたりしながら、素材を作り続けました。

1993年の秋には写真道場ができていましたので、こうした撮影にも丁度よかったのです。

こちらの表紙には「久門 易の」という名前も入れてもらえました。こちらも確か2万部くらい刷ったはずで、何年かかけて捌けたはずです。このムックだけでなく、「露出」「レンズ選び」「中古カメラ選び」などなど、多くの技術書がムックとして発行され、どれもがそれなりに売れたのでしょう。そうそう、カメラの新機種が出る度に、その機種の使い方のムックもたくさん作られました。思えば、この頃は毎年のように、それぞれのカメラメーカーから新機種が投入され、それなりの台数が売れていたようで、それぞれの「やさしく実用的・具体的な使用説明書」が必要とされていたのです。

こういう具体的な説明書をカメラメーカーがなぜ作らないのか? とずっと疑問に思っていたのですが、3年ほど前に安原製作所の安原さんから聞いた話では、「具体的な説明書をメーカーが作るとそれに対して責任が生じるのです。だからメーカーはやらない。カメラ雑誌などの出版社が作ってくれれば、多少いい加減な記述があっても、冒険的な使い方をしても、問題がないのですよ」と聞き、やっと目からうろこが落ちた思いがしたものです。

このムックを出した頃に、連載も終わりました。今、初めて思うのですが、個人情報的な話も出始めていたのかもしれません。

ほぼ5年くらいにわたる連載、2冊のムックの刊行は、私にとってはたいへん充実した仕事になりましたが、実はそれだけではなく、この頃取材にいった高校写真部の学生の内、一人はずっとお付き合いが続き、今でも仕事を一緒にしています。同郷の一人は上京して写真を仕事にしていて時々会ったりする仲、一人はFBつながりですが新聞社の写真部に勤めているという、不思議が関係ができたことは人生の大きな収穫といえます。あと、当時のドイテクニカル・フォト、今のフォトグラファーズ・ラボラトリーの方々などとのお付き合いも、この連載がなかったら出会うことすらなかった話です。

高田さんにもCAPAにも感謝。

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