西城 (サイキ)さんとの出会いとその後に起こったことについては普通では考えられないようなことばかりで、未だに「あれは夢だったのではないか」と思うことしばしなのです。が、これを話をしたところで不思議なだけで、決して面白みはありません。ですから、ほとんど誰にも話をしていません。あれは一体何だったのだろう、と時々思い返すのですが、答えがでるわけもなし、西城さんからいただいた宿題のようなものも何一つ解決しないまま。ただ、あの時の話によって、毎日を悶々と過ごしていた当時の私はずいぶん救われたのは確かな事実なのです。しかしこれだって、私個人の心の内の問題であって、人に話して伝わるようなことでもないし、伝えるべきことがらでもないように思います。なのでここに書くのは、あれはいったい全体何だったのだろう、という思い出にすぎないのですが、書き言葉にすることで、もしかすると何かがわかるかもしれないと、少し期待を込めて。

出会い

私、多分28歳くらい。MINを辞めた後で、ZEITにも出入りしていた頃です。ZEITに勤めていたフクチさんという同年代の女性がいて、彼女から「くもんちゃんに会わせたい人がいるから、今日、ビールでも飲みに行かない?」と誘われました。お酒が飲めるならどこにでも行くクチですから、「行きます。行きます」と二つ返事。

銀座あたりのビアホールでなかったかと思いますが、場所は覚えていません。100人くらいは入りそうな大きなホール。その一つのテーブルに4人くらいが腰掛けて、上品にビールを飲んでいました。全員、スーツ姿の男性。しかしいわゆる会社員ではなさそうな雰囲気です。軽く挨拶をしてから、フクチさんが左に、私が右に腰を掛けました。私の右が、白髪まじりでもっとも年長の方。彼が西城さんでした。他の3人くらいは若く、私よりも少し上の感じ。しばらく、彼らの話を聞いていると、彼らは西城さんの部下というよりも、教え子のような話っぷりです。どうやら、全員、お医者さんかその筋の研究者のよう。

何の話からそうなったのかは覚えていないのですが、西城さんと話をする中で私、ゲーデルの不完全性定理やらの話をしだしたのです。今思い返すと、こいつの口を押さえて押し入れにたたき込みたくなるような、生意気さだったと思います。が、さすが大人の西城さん「久門さん、そうじゃないんです。それ自体で証明ができない命題があるということは、他の系とつながっていると考えればいいんです」と。

にわか作りとは自分で知りつつも、難しそうな話をしたがる私の心の隙を見透かしつつも、ちゃんと正しい答えを出してくださるという名人芸。いや、まあ、私のプライドは木っ端微塵に・・・。他の方々はどん引きだったと思います。ハイ。

でもまあ、「若気の至り×お酒の勢い」はそんなことではくじけませんで、あれこれ問答を楽しんでおりましたところ、いよいよ閉店時刻とあいなります。すると西城さん。

「久門さん、 この後の予定がないのなら、私がとっているホテルにきませんか?」

なんなんだ? この展開。と思いつつフクチさんを見ると、「行け行け!」 と目配せをする。

では、毒を食らわば皿までとばかり「はい!」とこれまた二つ返事。

 

 

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