ホテルは歩いていけるくらいの近さでした。部屋は十分に広く、大きなベッドが二つあり、椅子も机もあって、2時間くらいはここであれこれ続きの話をしましたが、くわしくは覚えていません。
なぜか持っていた写真作品(ニューヨークがメイン)をお見せしたら、
「これであなたは何をしたいのですか?」と聞かれ、
「こういう作品を売って生活したい」といった意味の返事をしたのでしょう。
「では、私が買ってあげましょうか?」と申し出られたのですが、こういう感じで売れるのは違うなぁ、と思いまして、
「いいえ、それは結構です。」
若いころはこういう考え方をするのですが、最近、歳を重ね先が見えるようになってきて、売れる時に売っておいた方がよいと思うようになりました。お金の問題というよりも、作品がいろいろな人の手に渡っている方が、それが残る可能性が高いからです。よほど知られた作家でない限り、自宅などに保存している作品は、当人の死をもって、ほとんど粗大ゴミになりかねません。詰まるところ、流通価値がないものは、他人にとっては無価値なのです。作品にしろ、服にしろ、時計にしろ、本にしろ、人形にしろ、その価値がわかる人の手元にあることこそが、そのモノにとっての幸福。だからこそ、大切な作品(モノ)はそれを欲しいと思う人がいれば、その時に手放すのが吉。少子化と、趣味の多様化、モノの増加、は、これを追い打ちすることでしょう。
使わないモノに埋もれた余生を過ごすよりも、身軽がいい。最近は、そんな気分です。
あと、西城さんに、「英語がしゃべれるようになりたい」と伝えたら、
「そんなことよりも、ちゃんと母語である日本語を学びなさい」と諭されました。
いまでも、英語がわかるといいなぁ、と思うことは多いのですが、日本語の方がもっと大事というのは本当だったことは、歳をとればとるほど、深くわかるようになりました。
あと、実家ないし病院は岩手の一関にあるらしく、
「時間を作って呼びますから、一度おいでなさい」と。
そうだそうだ、病院というのは正しくなくて、「特別養護老人ホーム」のような施設で当時の最先端を厚生省といっしょにやっているのだそう。「老い」の問題なども、いろいろ話させていただいたのです。
朝食とコーヒー
翌日は、ゆっくり寝させていただいて、お昼前に二人でチェックアウトし、西城さんが新幹線に乗る前の残りの時間を近くの喫茶店ですごしました。
ドトール的な喫茶店で、狭い机にコーヒーとトーストが二人分並ぶのでかなり窮屈。内容は覚えていないのですが、あれこれお話をしている内に、突然。西城さんが自身の胸、心臓あたりを右手で押さえ、
「うううう・・」と唸り始めました。
背中を丸め、うつ伏せのようなりはじめる。尋常ではない痛さのように見えますが、私はどうすることもできない。なんていっても相手は医者なのです。私ごときがアドバイスできる立場にはありません。
10秒くらい経ったでしょうか。少し落ち着いてきたようで、胸ポケットから薬のビンのようなものを出す。声にならないような声で、「これを開けて、水をくれ」と言っているような。
言われるがまま、薬と水を手渡すと、ゆっくりそれらを飲み、そうしたらちょっと落ち着いたような。
「心臓が悪いんですよ」
少ししたら元どおりに戻ったよう。理由もわかって、胸をなで下ろしました。
そうしたら、「まだ時間があるから、本屋に行きましょう」とおっしゃり、近くの本屋へ。少し時間を掛けて本を物色し、2冊をお求めになりました。
オルテガの「大衆の反逆」、西部 邁の「批評する精神」
「これらをあげるから読みなさい」
で、新幹線までお見送りして別れました。
本当をいうと、本は両方とも少しずつしか読んでいないのです。
ずいぶん前の引っ越しの時に、古本屋に売ってしまったし・・・。すみません。