写真学校の先生であった金子隆一さんが、6月30日にお亡くなりになられたそうです。享年73歳、誕生日を迎えて1カ月少しであったとのこと。

本職はお坊さんで、写真集のコレクターとしてもつとに知られていました。同じ学校を卒業しているにもかかわらず、写真家になるわけでなく、評論家になるわけでなく、不思議なポジションに居続けておられました。私自身は、それほど深いお付き合いはなかったのですが、東京都写真美術館学芸員としても活躍されたこともあり、経歴的には「学芸員」になるかもしれませんが、「写真業界にも詳しい写真集のコレクター」という方が私にはしっくりきます。もっとも、こうしたラベリングはともかく、写真学校の大先輩としても、私のずいぶん前を常に歩んでおられた方であり、今、ある種の「重し」がなくなった不安感があります。

ご存命であれば、あれこれ教えを請うこともできるのですが・・。こうして、知らぬ間に生き証人はどんどん鬼籍に入られていくのだなぁ、と歴史のはかなさを改めて思うところです。

何冊か出版されている書籍から氏の考えに触れることはできますが、実のところ、本に記載されないトリビア的なお話にこそ本当に欲しい「価値」や「意味」があることの方が多いので、まことに無念です。

いや、たとえご存命であったとしても、よりよい記録を残し得たかどうかはわかりません。ご本人の意図としても、残される側の意図としても、です。

もっと重要なのは、はたして、理想の形で記録を残せる「視座」を私たちは持ち得ているのかどうか、であって、これこそが最近の私のテーマになりつつあるところで、逆にいえば、それこそ、どんどん視点が定まらなくなってしまって、なにをどうやればよいのか、ますます見えなくなっているという・・・。

困ったなぁ。

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