本当に数日前の朝の話。

自宅から自転車に乗って、写真道場まで通う5分あまり。2019年に入居が始まった、超高層マンション「パークシティ武蔵小杉 ザ ガーデン タワーズウエスト&イースト」を右横目に見ながら自転車を漕いでいたいたときに、ふと閃いたのです。

「あれは、空気圧でなく、油圧にすればよかったのだ。これで一挙解決。工費1000万が無駄にならずに済んだはず。なぜ、これを38年前に思いつかなかったのか。」と。

38年前の私の失敗、設計ミス、そもそも的な計画の間違いを、これでやっと修整できる! と感じた一瞬でした。しかしはっきりいって、もう取り返しはつかないのですが・・・。

それをこれから説明しようと思うのですが、さて、技術的な話もあり、人生の話もあり、これは長くなりますぞ。といいつつ、どうせ3回くらいで終わらせないと飽きてしまう私のことですから、ちょっと頑張ります。いまさらながら勉強のし直しもあるのですが。

38年前。私、四国電力、坂出発電所の保修課計測係に勤務しておりました。火力発電所の計測機器および制御機器のメンテナンスを担当する部署です。早生まれなので高専卒の20歳になりたてで入社。そして、発電所に配属された新入社員は全員、まずは徳島の阿南発電所で1カ月の合宿を経てそれぞれの発電所に配属。そこでは学歴に関係せず、初年度は運転員として三勤交代(参勤交代としか変換できなくて大変。今どきは、三交代制とか、三交代勤というのですね)で現場を知った後、人事の命令でそれぞれの部署に分かれる次第で、私の場合、そこが計測係。

発電所の事務所は確か3階にあって、入って左が経理、右が総務で、総務の奥に所長さんがいらっしゃった。保修課は、左手の経理の向こう側の島。その向こうは保修課機械係、その向こうは保修課電気係だったはず。右側には何の課だったのか、関心外だったせいか、ぜんぜん思い出せません。

2階は食堂で、讃岐うどんの香川県ですから、メイン料理はうどん。厨房を奥にみる棚には、プラスチック製のどんぶりに半生のうどんがそのま載せられただけ。これがずらっと並んでいる。その手前側に、うどんを茹でる大きな四角い釜があって、そこは常に茹だっている状態。その端には何個もの振りザルが掛けてあって、一人一人が自分でザルにうどんを入れて茹でて、どんぶりに入れなおして、だし汁を注ぎ、ネギやらなんやらのトッピングを自分の好みで載せるという仕組みでした。入社当時は「さすが本場は違うなぁ」と感じ入ったものです。しかし、旨いんですよ。本当に。毎日、うどんでまったく飽きない。もっともっと食べたくなるくらい。

電話は緑色のダイヤル式で、机の端に取り付けられたスタンドの上に載せられていて、左右に振れるようになっており、二人で共用でした。入社した当時は、電話に出るのが怖くて怖くて・・・。

この写真は、当時に取引先からいただいた「ウォッチバンドカレンダー」が入っていたプラスチックケース。

今の人たちにはわかんないでしょうね。親指の爪ほどの大きさの楕円形のアルミ板に小さな小さな文字で1カ月分のカレンダーが印刷されているもの。当時は、ちょっとした営業ツールによく使われていたのです。このケースは、今でも3個もっていて、名刺やらカードを入れたり、この写真のようにホチキスの針の整理で役立っていますです。

Westinghouseとは、ウェスティングハウス・エレクトリック社。火力発電所のプラント全体を設計していたような記憶があるのですが、実際に作っていたのは石川島播磨だったかも・・。ああ、知らんことばかり・・。。

今、wikiで調べたら、こんな感じ。

「19世紀後半、エジソンと同時代の発明家、ジョージ・ウェスティングハウスがその発明を事業化したのが始まり。創業期においてウィリアム・スタンリー、ニコラ・テスラら天才的な技術者を多数擁し、交流、特に三相交流発送電による電力事業を開拓、その技術を確立した。これをイギリスのチャールズ・マーズが採り入れようと長いこと政治の世界と綱引きをして、やがてナショナル・グリッドという全国的送電網を企業体として成立させる流れにつなげた。」

エジソンの直流、テスラの交流の戦争ですなぁ。うわぉ~。当時、こんな知識があったら、もうちょっと真面目に仕事ができた・・だろうか? wikiには、ウェスティングハウスは1999年に消滅、とありますが、あれぇ?  東北大震災の後で、東芝が株を買って大損したんじゃなかったのかなぁ・・。2017年5月には、こんな記事も。

「創業1875年の名門東芝が経営危機に瀕している。原因は2006年に買収した米国の原子力関連企業ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(以下、WEC)での巨額損失だ。いったい東芝で何が起きているのだろうか。」

よくよくwikiを見直したらこうありました。

「商標会社ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーションはCBSコーポレーション傘下に残る。」だって。

いやいや。こんな話でもなかった。

で、私の机の左側にいたのが長井さん。同期の先輩であって、独身寮である宇多津寮でもお隣さん。エアサプサイなんかのレコードをかけていましたねぇ。京大の院卒だったかな。私がいうのもなんですが、「この人はアタマがキレル。すごい」と感じていました。諸先輩方にも物おじせず、正しいと思うことは正しいという。今調べてみたら、私の4つ上の早生まれ。なので、当時25~6。

そんな若造がいくら親会社のエリートだからといって、下請けの偉いさんに、「それは正しくない」とか平気でいうわけです。しかも長井さんの言い分は基本的に「正しい」ことばかり。だからか、その語り口が社内で相応に問題になったりしました。

「人生の先輩というのはわかるし、社内的な立場もわかるんやけどなぁ。なかなか難しいのぉ。」と、長井さんがにこやかにつぶやいていたことを覚えています。

そうはいうものの、下請けの会社の偉いさんと話をしていとき「久門はよ、おまえはぶさいくやけど、長井は目がくりくりっとしといてかわいかろがや」とか、案外、可愛がられキャラだったのかなぁ。ヘンなことばかり思い出す。

そうそう。私が会社を辞めるかどうか迷いに迷って、多分何度か、無断欠勤をしたことがあるのです。その時に声を掛けてくれて、

「お前、どないするん?」

「辞めたい」

「じゃ辞めや」

と、私の背中を押して谷のどん底に落とし込んだ(言い方が悪い)のは、他でもない、この長井さん。

あれから、38年。

今や、取締役社長社長執行役員だそうですよ。何年も前に、同期の人たちから「社長になって頑張っとるぞー」と聞かされておりました。技術系出身の社長は珍しいこともあります。しかも、私が会社を辞めた以降、電力の自由化に、原発問題でいろいろ、本当に大変な時期。明るい未来はなかなか見えませんが、長井さんだったらなんとかやってくれんじゃないかな。(頑張ってね)

いやいや、本題はそこではありませんで、私の宿題。そこに迫るまで、ちょっと技術的なことなど・・・。

頑張って続けますよ。

 

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