そんなこんなで、37~8年前の宿題に自分自身の中でケリがつきました。よかったよかった。

思えば、会社を辞めて10年くらい、年に一二度くらいの頻度で、会社の夢を見ることがありました。始めのころは、もう少し頻繁だったはずで、徐々に夢を見る回数は減り、今は皆無。その夢は、なぜか舞い戻って当時とは異なる仕事をしていたり、会社を辞めているはずなのに職場にいて気のまずい思いをしていたり、いずれにしても、目覚めのよいものではありませんで、起きてしばらくして、「ああ夢だったか、よかったよかった」と胸をなで下ろすばかり。

そういえば、煙草を止めて18年くらいになりますが、うっかり煙草を吸って、「あーあ、これは元の木阿弥だ」という恐怖で目が覚める、ということも次第になくなりました。あと、バイクは当時憧れていた機種をこっそり購入している夢。だいたい400ccくらいのロードバイクなんですが、現実には存在しない機種なんですね。これにまたがって運転しようと思うのですが、これがぜんぜんうまくなくて、乗りこなせない。スピードもでない。イライラして目が覚める。面白いことに、実際に乗っていたバイクは夢にでてきません。そういうものなんですかねぇ。

バイクも煙草も会社も(比較対象として並べるのもどうかと思うのですが)、それなりに習慣化して、心の奥深くに刻み込まれている証左でしょうかね。フロイトでもありませんが。

ところで、脱硫装置のこの一件は自分にとって結構荷が重い事件ではありましたが、会社を辞めるきっかけになったとは到底思えません。前に書いた、阿波踊りの一件で、自分自身の目が広い世界に向けられた、というのはあるかもしれません。しかしそれだけでもない。バイクや自動車で何回も事故を起こしたという不祥事もありますが、それは精神的な不安定の結果の一つにすぎないといえます。

ある日、寮の自分の部屋で一度、気が狂ったようになって、酒の勢いもあったかもしれませんが、布団を力一杯振り回し、天井からぶら下がっている蛍光灯を振り落とし、蛍光灯は割れてぐちゃぐちゃ。机の上の文具は飛び散り、本棚は倒れ、足の踏み場もなくなったことがありました。いい加減、あれこれを壊してやっと気が収まり、「これは寝られないや」と一階下に住んでいた柴川の部屋に行き、「寝かしてくれ」と駆け込んだことは覚えています。彼とは今でも、facebookで繋がっているのですが、この頃のことを改めて聞く気にはなれません。

そんなこんなで、会社を辞める直前の私は、だいぶんおかしかったのです。きっと。

これまでそのようには考えませんでしたが。

なので、あのまま会社を辞めずにガマンしていたら、かなりの確率で精神に異常をいたしていたかもしれません。最近は比較的多めにそういう気がしています。もちろん、そうでなかったかもしれないし、ここのところは永遠にわからないままでしょう。

会社を辞める段になって、同期の早稲田卒の小松さんには、世田谷方面にあった「県人寮」を紹介してもらったりもしました。まれに見る大雪の日に見学にいったのです。駅の名はわすれましたが、道の両側に避けられた雪は高さ20センチくらいになっていて、不安定な足元、右も左もわからない23歳の私は寮長のような方と少し話をさせていただきました。その内、ここは真面目で立派なちょっと年下の大学生ばかりであることがわかり、「ここは私の居場所ではない」と結論づけ、結果、元住吉の家賃12000円に落ち着きました。小松さんには、会社にいる時から大事にしてもらい、辞める時はこんな按配で、辞めてからもずっとお世話になりっぱなし。

それにしても、入社してから今年で40年目の還暦ですから、会社にいたら、私も今年で定年。大卒以上の先輩たちは既に定年で、会社からは離れている人もいますし、天下り的に関連会社の上役になっていたり、天昇り的に役所の関連部署に勤めていたりしています。さて、もし会社に残っていたら私は何をしていただろう。というのも、永遠の謎。にしても、年に一回あるかないかの頻度ではありますが、彼らが上京する時には連絡をくれて一杯やったり、私が帰省する時は連絡をして一杯やったりできる関係が残っているのは、会社を辞めても辞めなくても、人間関係は続くもんだなぁ、という感慨はあって、これは私の幸せ自慢の一つではあるのです。

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