高専3年生の頃に写真部の越智君に暗室作業の手ほどきを受けて以来、撮影と暗室作業にのめり込んでいて、香川県宇多津町にあった会社の寮に入ってからも自室を暗室にできるようにして写真を続けていました。発電所に出入りしているナガタカメラの長田さんにも、いろいろ教えてもらいましたが、主な情報源はアサヒカメラ、日本カメラ、カメラ毎日くらい。比較的多く講読していたのはアサヒカメラで、1983年の夏に撮影した阿波踊りの写真を「ギャラリー」という特集ページに応募して、翌年の夏にこれが2ページ掲載されたのが運のつき、という話は以前書いたはずです。
思いつくままに。当時講読していた雑誌は、「鳩よ!」に「流行通信」、「FOCUS」は藤原新也の東京漂流に衝撃を受けました。「FOCUS」はその後おおきな方針転換をしてスクープをメインにした雑誌に変貌するのですが、初期の頃のほうが刺激的で面白かったです。
記憶に残る本は、林真理子の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」、糸井重里らコピーライターがずいぶん持ち上げられた頃で彼らの本もいくつか。藤原新也さんの本もずいぶん読みました。情報センター出版局からでた金色の表紙の「メメント・モリ」は新聞の広告を見て即買い。FOCUSの写真を中心に構成されていて「死を想え」とか、「インド漂流と」か、ほとんど雲上の人のように感じていました。上京してからは、確か渋谷パルコで開催された「アメリカ」の写真展も見ました。写真を並べるだけでない大胆な展示にかっこいいなぁ、と思いましたが、このころからスッと興味が失せました。最近また展示会をやっているようですが、10年ほど前から葬送文化の勉強を始め、60を超えて死にどんどん近づいていることを意識するようになった自分には、「メメント・モリ」とか「インド」とか言われてもシラけてしまうだけです。こういうのにかぶれるには、能天気な若さが必要なのでしょう。
そうそう、赤瀬川原平さんの「東京ミキサー計画」もよかったなぁ。ハイレッド・センターの面々がやっていた「芸術」には憧れを禁じ得ず、こういう「芸術」をやりたい、と思ったのは確かに上京の一つの動機なのです。この本は愛読書の一つになって、私と共に上京したのですが、写真学校の同級生であるトクイくんに貸したら最後、彼はいつのまにか退学してしてしまってとうとう戻ってきませんでした。「本を貸したら返って来ない」という格言どおり。先日、図書館で借りて読み直そうとしたのですが、なんだか気分が乗らなくて途中で辞めちゃいました。書いている内容は同じでも、当時私が見た夢はそこにはもうないんだな、ということがわかって、これはもう本当に寂しかったです。
荒地出版のサリンジャー全集は全部買って読んだし、この流れで村上春樹に行ったんだと思います。「風の歌を聴け」からずっとファンだったけれども、上京してから読んだ「ノルウェーの森」で酔いが覚めたようになりました。あと、会社の昼休みに読み続けたミネルヴァ書房の「ヒューマンデベロップメント」も印象にのこっています。
写真は、荒木経惟さんに篠山紀信さんが元気だったころ。越智君に荒木さんのことを教えてもらい、ずいぶん買いました。毎日カメラ別冊の「NUDE」3巻もすごかった。あと、伊藤俊二さんの「写真都市」などなど・・。ニューアカデミズムの時代で、なんだか小難しい感じの本をずいぶん読みました。数パーセントもわかっていなかったのですけれど、そういう雰囲気にずいぶん心酔していたのです。
そうそう、受験で上京した時に、青山ブックセンター(写真学校に行くにようになっから、ABCと略するんだよ、と教えてもらいました)で、「VOGUE BOOK OF FASHION PHOTOGRPHY」(これは英語版ですが同じ表紙の日本語版)を買い、帰りの寝台列車でむさぼるように読んだのです。これは今でも手元にあって、まだまだ意味を失わない本の一つであり続けています。
当時はこうした全てが「普通」だと思っていましたが、今にしてみればバブル景気を背景にした華やかな時代だったのだなぁ、と思います。インターネットもなかったし。時代は大きく変わりました。そしてまた、理系の中で純粋培養された人間が文系ジャンルに手を打すと、こういう具合に支離滅裂になるのか、とも思ったりしつつ、自分も変わってしまったのですよ、きっと。
そんなこんなで、2月ころに有給休暇を取って写真学校の入学試験を受け、合格発表(定員の半分くらいしか合格者がいなかったので、全員通ったんじゃないかと思う)があってから、辞表を提出したのでしょう。有給消化もあって3月の始めに発電所の人たちに挨拶回りをして、めでたく会社を辞めました。作業服(制服)や発電所のシステムの本(A4で200ページくらいなのが20冊くらいあったんじゃないかなぁ)も全部会社に戻しました。挨拶周りは、私と同じ時に会社を辞めた経理のタムラさんと一緒だったのです。彼女は夫の転勤の都合での退社でした。確か阿佐ヶ谷に住むということで、もしかすると会う機会があるかもね、と話をしていたのですが、その後一度もお会いすることはありませんでした。
というわけでさて、やっと「写真」の話をするための前置きが終わりました。長かったなぁ。書き残したこともいっぱいありそうだけれど、そろそろ前に進まなきゃ。