ちょっと話題を転じてカメラの話。写真道場を始めた頃に使っていたカメラはFUJI GX680 の初期型でした。WEBで探したら、最終版の機種はⅢ(上の画像)になっていて、これは既に2010年に生産を終了したのだとか。13年前。

 さて、初期型はいつ? と調べたら、こちらがありました。1986年に発表されたのだそう。そういえば、フォトジャポンでアルバイトをしていた時に、ライターの平さんがこのカメラのレビューを書くというので、少しお手伝いをしたのでした。モデルの女の子と平さんと私とで靖国神社に行き、このカメラをわざわざ手持ちで撮影して遊んだのです。手持ちなんて、まったく意味ないんですけれど、そういうのが面白かった。37年ほど前のことになります。

 これから数年経った頃、荒俣宏さんの「ファンタスティック12(ダズン)」の原稿を複写する仕事をいただいたことはずいぶん前に書きました。最初はニコンFで撮影していたのですが、儲かったお金でこのカメラを買い、この原稿も中判フィルムで複写ができるようになったのです。この12巻本は1990年だそうで、複写をしたのは1988~1990年頃にかけてのことだったのでしょう。私、28~29歳。

 三脚は大きく重いジッツォで、センターポールを改造してカメラを横に張り出せるようにして撮影していました。レボルビングはできるし、アオリもできるし、フィルムは自動送りできるし、まことに使い勝手がよかったのですが、初期の機種はファインダーでレボルビングしていることがわからない仕組みになっていたので、ずいぶん焦ったものです。何年かして、フジで正規に改造してもらえるようになり、この不安からも開放されました。

 当時、作品撮りは4×5カメラを使っていたし、大きなカメラが好きだったのです。要は、一般の人たちがもっている一眼レフではない、「すごいカメラ」を使っている優越感に浸りたかったのが一番の理由であったのだろうと、今にして素直に言えます。画質やボケなどもありますが、こちらはどちらかというと言い訳にすぎません。

 最近になってやっと、新品の高級カメラを買って仕事をする、という宿痾から多少開放されつつあって、今は型落ちの中古をヤフオクなんぞで入手してばかりです。事実、本質的にカメラは「暗箱」なのですから、いくら高級なカメラであろうが、ブランドものであろうが、写り自体に影響はありません。「写り」を大きく変えるのはレンズです。なので、今どきのカメラは一般向けの安価なカメラでも十分な精度があって、荒天の屋外撮影なんぞしなければ耐久性も十分。連写性能も、スポーツや自然を相手にしなければ、速すぎるくらいな話です。そうそう、後にオーロラを撮影しにいった時でも、一般向けのカメラで十分でしたし、観光客に至ってはコンパクトデジカメで撮影できていたくらいです。高級なカメラなんて、過酷な現場以外での撮影には、趣味的な自慢のシロモノでしかありません。

 そうはいっても、プロとして仕事をするには、「立派なカメラを使っている」というポーズは必要で、そうしないとクライアントが満足しない、というのも事実です。でも、これを冷静にわかっている内はいいんですが、人間、習い症で、しばらくこういうことに慣れると、「立派なカメラを使う」ことが自己目的化する。高価なカメラを使うことで、自分はプロなんだ、とか、いい写真を撮れるのだ、と自分を言い聞かるようになります。そうして儲けたお金を、さらに高価なカメラにつぎ込む、というような循環。悪循環だけではないのですが、本気でこの沼に足を捕らわれると、「いい写真を撮る」という本質からどんどんズレていくようになります。ということも、やっと今にして思えること。当時はいつも、高級で大きいカメラが欲しかったのです。

 ともあれ、GX680。680は、フィルムの画面寸法が約6×8センチという意味。当時の中判カメラの主流は、6×9あるいは6×4.5(35㎜カメラや今のプロ向けデジタルカメラの主流の縦横比2×3と同じ)、6×7(4×5などの大判カメラに近い) だったところに、雑誌などのA4、B5サイズ、あるいは印画紙の縦横比に近いという理由で、フジが独断でいきなり市場投入したフォーマットでした。そんなのにアリか? と最初はびっくりしましたが、6×9は横長すぎ、6×7はちょっと寸詰まりという印象も確かにあって、たいへんに使い勝手がよかったのです。

 このカメラを買って複写仕事から始め、物撮りや人物撮影に多用するようになり、かなり儲けさせていだたきました。しかし、当時はまさか自分が写真館を始めるとは想像すらしていなかったことは確かです。で、写真館を始めるようになったか? ということを考えだすと、またしばらく書き物ができなくなってしまいますので、当面、ここには触れないでおきましょう。

 フジはこのカメラを写真館を主なターゲットにした製品として開発したようで、写真道場を作る少し前頃だったか、会社員時代にお世話になった香川県は坂出のナガタカメラに遊びに行ったら、「久門君、このカメラ知っている? フジからもらったんだけどねぇ」とおっしゃる。こちとら高いお金を出して買ったのに、フジはこういうカメラ店には無料で配るんだ、とのけぞりました。そしたら長田さん「このアオリができるレンズボードなんて、ヤワいもんだよねぇ」とかいいながら、グイグイ力を入れて動かすのです。「いや、撮影中にそんなに動かすことなんてないですよ」とも言えず、「ですかねぇ」とお茶を濁して話題を変えましたが、そういえば当時、長田さんのカメラ店では2階をスタジオに改造して子供撮影を始めるという話をしていたのです。もしかしたら、フジが力添えをしてスタジオを作らせ、子供写真でフィルムやプリントの消費を増やそうとしていたのかな、と思ったり。

 そうそう、ナガタカメラといえば4年ほど前、会社員時代の同期の先輩である小松さんと坂出で飲もうということになって、待ち合わせ場所として使わせていただいたのです。「久門君、僕何歳に見える? 86歳になったんだけれど、社交ダンスもして元気にしているよ。どうだい?」と、両手を広げてダンスのポーズをとりながら健康自慢をしていました。と、思い出した途端、あれ、今年は年賀状が届いていないことに気付きました。さて、どうしたものか・・・。

 とまあ、GX680周りの話は、なんだかんだいって30~40年近く前のことなのです。今、若手フォトグラファーとしてブイブイ言わせている人たちは、未だ生まれてもいなかった頃の話。写真道場も30年経って、当時、近隣の写真館に対して「古くさい」と私が思っていたその対象に、今、私自身が成り果てているのだ、ということを、そろそろ本気で自覚する必要がありそうです。