写真を本格的に始めた頃は写真雑誌などから土門拳、木村伊兵衛を知り、当時の青年向け雑誌からは篠山紀信、荒木経惟を知り 、写真学校にはいってからカメラ毎日のバックナンバーに目を通してVIVOやPROVOKEらの写真家(時代的には荒木・篠山の少し前)を知り、卒業当時はバブルのアート流行りの中でオリジナルプリントにうつつを抜かし、そうこうする内にガーリーフォトが流行しだしたあたりで、自分の居場所はなくなったように感じて、私は「芸術写真」からなんなとくフェードアウトしたのです。写真雑誌などの仕事もそれなりに順調だったし、写真道場という写真館を始めた、というのもこうした大きな流れの中のこと。

 土門拳VS木村伊兵衛、篠山紀信VS荒木経惟の対立軸、VIVOやPROVOKE VS 広告などのメジャー写真 といった対立軸があるからわかりやすく見えるといこともあったし、写真界隈を賑やかにし、活気もでたように思います。篠山・荒木対決もありました(多分、文春)。前回も触れましたが、写真学校で流行っていたニューカラー、ニュートポグラフなどは、主にアメリカのアートシーンの受け売りであって、バブル景気の追い風の中、美術館やギャラリーで扱うオリジナルプリント(限定作品指向)へと繋がっていったのです。残念ながら結果として、写真作品の市場は日本では大きく成長せず、写真業界が内向きになって、新しい市場としての「女の子写真」に流れていった次第。

 土門拳、木村伊兵衛の時代は、ドイツ製カメラ。VIVOやPROVOKEは国産マニュアルカメラ。篠山紀信や荒木経惟には国産AEカメラ、ガーリーフォトはコンパクトカメラ(フィルム)。土門拳、木村伊兵衛は、グラフジャーナリズム。VIVOやPROVOKEは自主ギャラリーやミニコミ誌。篠山紀信や荒木経惟は青年男子向けの雑誌、ガーリーフォトは若い女性向けの雑誌、といった具合に、写真技術やメディアとの連動を見てとることができます。

 もう一つ視点を変えると、土門拳、木村伊兵衛は、世界の中の日本。VIVOやPROVOKEは国内問題。篠山紀信や荒木経惟は個人的な消費。バブル時代のアートばやりは主にアメリカの物真似にすぎなかったし、せいぜいは「廃墟」ブーム。ガーリーフォトは男社会の中の女の子が「身辺数メートル四方を撮影した写真」と揶揄されていました。ことほど左様に、視線が届く範囲がどんどん小さくなっていったのも、大きな傾向です。日本が、全体として内向きになっていった時代とも呼応するんじゃないでしょうか。

 このように写真家のスタイルのブームの全体像を俯瞰してみると、彼ら彼女らの写真のイメージも納得できてしまうところがあります。いい過ぎを覚悟するなら、彼ら彼女らがいなくても、他の誰かが同じような立場に立っていたはずです。もちろん、だから誰でもよかったということではありませんし、それぞれの個性によって、その後の写真の在り方が大きく変わったのですが。

 なので、いわゆる写真史を語る書籍などで彼らの作品だけを抜き出して、そのイメージで論評したものを真に受けていた当時の私などは、もっと社会全体を見ないといけなかったんだと、今にして痛恨するわけです。つまるところ、いったい全体何をやっていたんだ、自分は? ということなんですが、これを現時点に置き換えてみて、さりとて今、現在の私たちはいったいどこにいて、はたしてどこに行こうとしているのか? なんてことは、やっぱり神様でもないとわかりません。

 が、わかることだけ書き出すにして、デジタルとインターネットとスマホとSNSによって、もう世の中全体が変わってしまったことだけは事実です。これはおそらく、今現在の支配層にいる老年の人々および、いい調子でお金稼ぎができている人たちには理解不能、わかりたくもない世界観なのかもしれません。なので、おそらく旧来の写真家たちのような写真家は、もう出てこないし、必要ともされないことは確かなのでしょう。

 世の中が変わってしまった、ということで、ちょっと別視点から。

 私の世代は、篠山紀信が撮る女の子のイメージに染められた思春期を得た男性がほとんどだといっていいと思います。80年代にはいって、荒木さんに注目が集まるようになって来たころ、篠山紀信を「女衒」と評した人がいて、これは・・・と思いました。が、今にしてみると、まさしくその通りであって、それ以外の何者でもないよな、と感慨を深くします。裸をヌードと称して商品化し、それを餌にして、アイドルを量産してきたわけですから。もちろん、女性にも受容できる美しさをもったイメージですし、世の多くの若い女性もアイドルを目指していた時代ですから、世の中全体として必要とされ、反感を得ることはさほど多くはなかったでしょう。でも、当時のようなヌード写真をもって、正統派アイドルを売り出す、というのはもはや困難だと思います。

 ここでついでに荒木さん。当時は大股開きとか、SMとか、ロリコン系の写真(「少女世界」や「少女時代」が著名。小学生くらいの女児のヌードがメイン。「母親がモデルにしてくれと連れてくるんだよな」と荒木さんがよく言っていました。)で話題をかっさらっていましたが、単純にいえば篠山紀信の逆張りをしていたのです。篠山紀信というメジャーに対して、マイナーな路線をサービス精神満点に演じることで、私を含めメジャーになれない男性、そしてアイドルになれない女性の受け皿として、根強いファンを得たのです。

 2018年頃、荒木さんに「ミューズ」問題が起こります。篠山紀信の写真家としての活動はきちんとしたビジネスとして成立していたのとは違い、荒木さんのそれは芸術活動としてのファン心理をベースにしていたようなところがあって、いい関係の時はいいんだけれど、何かすれ違いがおこるとモヤモヤしてしまう。個人的には、こういうのが原因なんだろうな、と思うばかりの事件でしたが、究極は、時代の価値観が変わってしまったことが一番だったと思うのです。私を含めて、人物を撮影した写真家(ないし写真家を志した者)には、こうした意味で脛に傷のない人はほとんどいないんじゃないかと思います。