3年くらい前だったか、某有名カメラマン(若手)のアシスタントという女性が、額装のマットカットについて教えてほしいとやってきたことがありました。多少のコツは必要だけど、やり方がわかって少し練習すればよいくらいの作業なので、一通り教えてあげたのです。それで話が終わればよかったのですが、彼女がいったん外にでて、誰かに電話を始めた時から、雲行きが怪しくなりました。

 なんだか、電話の相手に罵倒されているような感じで、もうほんと泣きだしそうになっているのです。

 事情を聞けば、そのカメラマンが写真展をするので、アシスタントの彼女が額装を担当することに。当のカメラマンも彼女もマットカットの知識は皆無。額装屋に頼めばする話を、どうやら安く仕あげようとして、彼女に一任したみたい。ネット情報を探し探しして、写真道場のマットカット・ワークショップにたどり着き、そして連絡をくれたのだそう。

 電話の相手の某カメラマン「その講師は、ちゃんとしたやつなのか?」「本当にそれでできるのか?」「間に合うのか?」「俺はたいへんな思いをしてお前に頼んでいるのに、それにちゃんと応えてくれいのはどういうことか・・」とかなんとか、もはや理屈もへったくれもなし。ほとんど怒鳴り声のような大きな声が電話口から漏れ聞こえるわけですよ。

 写真展をやるのなら、数もあるし、慣れてもいないし、決して強くはなさそうな彼女の腕力で、全てのマットカットをするのは困難だろうと思い、ネット情報で比較的廉価でちゃんとしていそうな額装店を見つけてあげました。そこからまたカメラマンとのすったもんだがありましたが、まあ、そこに頼んでよいという話になって、ほとんど涙目で戻っていきました。 

 あーあ。体育会系の人には失礼なほど、根性論しかない世界なんだなぁ。と。

 しかしまあ、これは今に始まったことではなく、大昔からそうだったようで、写真学校の同級生で有名写真家のアシスタントになったやつもそういう環境でたいへんだったと、何度もこぼしていました。私は、もともとそういうのには耐えられない軟弱者ですから、そもそも論的にそういう世界には近づきませんが、それでも物撮りのアシスタントをやっていた時には、そういう気配の中にいたことは確かです。

 写真学校だって、暗室作業でへまをしたら、「現像液を服にぶちまけられた」とかいう武勇伝を一世代上の先輩からはよく聞かされました。

 当時、知人から聞いたことがあるのですが、アメリカの写真業界では、プロのアシスタントという立場があって、アシスタントもプロ意識をもって「アシスタント業」に徹し、だから十分な報酬を得ているのだ、といいます。本当かどうかは知りません。が、人格的に、トップに立って采配できる人と、やるべきことをしっかりこなせるが表立った動くのは苦手、というタイプがあるのだから、どっちが上とか下とかではなく、対等に業務分担ができるといいのになぁ、と感じました。

 ところが日本のカメラアシスタントはみな、カメラマンになることを夢見た下働き、という位置づけです。本人もそういう夢を見ているし、アシスタントとして鍛え上げらることで写真の技術が身につき、そうして残った優秀な人だけが、カメラマンになる、という大きな物語をみんなが信じています。ある意味、みんなやりがいを搾取されて、ドロップアウトして田舎に帰っていったのです。帰る田舎がなければ、長期アルバイト生活を経て、運がよければ正社員的な話になりました。それでも景気がよければフリーターとしてなんとかやっていけしたが、今は一度非正規になるとなかなかちゃんとした道には戻れません。

 だから、今の写真学校の学生たちは、何がなんでも正社員を目指す、のでしょう。

 そうそう。

 こういう全体が、日本の雇用慣行そのものなんだな、ということがやっと最近になってわかってきました。新卒の若い学生は、真っ白な状態で会社に入社し、そこで育てられて、優秀な者だけが管理者になって、いずれは社長まで上り詰めるという、出世物語。国によっていろいろ違いはあるけれど、アメリカやヨーロッパは、それぞれの職種の資格などを取得して、どこの会社でも即、通用する職能をもっていなと仕事にありつけない。だからそもそも、新卒は仕事にありつけない。といったようなことは、小熊英二さんの「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」がよくわかります。

 ただまあ、人口は減っていくし、これまでのように若い人を育てるとか、振るい落とすとか、というのも先行きが怪しいかもなぁ、と思います。そもそも、写真業界は右肩下がりなので、これまでの慣習を知らない若い人たちが、これまとは違う道をたどって、新しい写真ができていくのでしょう。これには、写真を見る人、観客となる人たちも、これまでの慣習に捕らわれなくなっていかないといけません。

 いろいろ変わるのにあと何年くらい必要なのかわかりませんが、少しずつ確実に着実に変化していくことだけは間違いのないことです。