写真学校に入るために上京して半年くらいは「おのぼりさん」気分で、写真撮影をかねて浅草、上野、銀座、新宿、渋谷をいわば観光していました。少し慣れてきて1年くらいすると、映画、演劇、洋書など、文化方面の勉強とばかりに歩き始めます。

 「ぴあ」を片手に、演劇は、下北沢は本田劇場、ザ・スズナリ、澁谷はジャンジャン。映画は、六本木WAVEのシネ・ヴィヴァン。洋書は、渋谷のカンカンポア、詩集に強かったパロールなどなど・・。ま、もともとが技術系の田舎育ちなので、こうした文化方面にはまったく疎く、見るもの触るもの、あらゆるものが、「ワケがわからない状態」でした。

 かなり時代に遅れてはいるけれど、ゴダールとか唐十郎とかもこのころ始めて知りました。なので、だいたいは付け焼き刃であるし、心で触れて感動するというより、知識として身につけたといった方がいいでしょう。このあたりは、10代頃から親しむことができた人には絶対かなわないし、勝ち負け抜きにして、人種が違うくらいの違いがあるように思います。 

 原宿ラフォーレで開催されたシンディ・シャーマン展を皮切りに、パルコ出版からでた海外作家の写真集はあれこれ買い集めました。・・・しかし今、ほとんど記憶にもないのは、自分自身の感性にピタリとあってどハマりしたというのでなく、多分、上滑りな知識として理解しようとしていただけだったせいではないかと思います。

 振り返ってみると、全国的にもバブルに向かう時期だったことに加え、西武(セゾングループ)の文化戦略もあって、「新しい洋物文化」がいたるところにあり、それらにどっぷり漬かろうとはしたものの、結局、この歳になってみて、当時、これらのほとんど全ては「消費」されただけで、何にも身になったものはないじゃないか、と虚しい思いがするのです。

 言い方がなんなのですが、田舎者が無理して頑張ってただけのような気分。だから本当は逆に、田舎者であるからこそ地に足をつけたやり方をちゃんと模索できた方がよかったのかもしれないのですが、この国全体が浮ついていたということもあるので、もうなんともやるせない。

 というわけで、「写真を学ぶ」はこれでいったん一区切りにします。