INDIA・Varanasi(1985年)

24歳。会社を辞めて2年目、 写真学校の2年生。退職金をはたいて初めての海外旅行でインドに行きました。『地球の歩き方』だけが頼りで、そのツアーに参加したのです。夏休み、1カ月の旅。 目的地はヒンズー教の聖地であるベナレス(ヴァラナシ)のみ。目的は「死」をこの目で見ることで、だからベナレスしか眼中にありませんでした。「死」を写真に撮るということではありませんが、これは今の私の仕事にも繋がっています。 当時買った初版本は未だ手元にあります。右下のFOCOSは別のムックです。 旅立つ前年の1983年は、藤原新也さんの『メメント・モリ』(情報センター出版局)が出版された年です。この2年前には新潮社の雑誌FOCUSが創刊されています。今はもう過去のスキャンダラスな雑誌ですが、WIKIに「創刊当初は、有名写真家を使った芸術性の高い雑誌を目指したものの、低迷した。」とあるよう、それな...
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第2回期待される写真家20人展(1990年)

約30年前の1990年。渋谷パルコが開催していた「期待される写真家20人展」の2回目の一人に選出されてこの展示会に出品し、カタログにも掲載されました。NHKのニュースでも取り上げられ、私もちょっとだけ取材されました。ちょうどオープニングパーティの時で、いい背景がないからという理由で、トイレ入り口の緑の前で収録されたのです(どこかにビデオがあるはずなので、発掘したら掲載します)。 さて、この写真展。企画者として高橋周平氏の名があります。氏は、福武書店から出版されていた「PHOTO JAPON」の元・編集者で、私自身もずいぶん懇意にさせていただいていた方です。 ここで本題から離れますが、「PHOTO JAPON」の思い出を少し。 「PHOTO JAPON」は、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)がフランスの「PHOTO」という写真雑誌と契約し、その日本版という位置づけで出版し...
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1984・夏(1984年)

1984年。私、23歳。高専卒の20歳で就職し、丸3年目の春に退職して上京、日吉にある東京綜合写真専門学校(夜間)に入ったのです。その年、日々の写真を撮って一冊にまとめる、という夏休みの宿題で作った写真集です。主に田舎に帰省して撮影した写真で構成しています。「日録」という呼び方をしていました。宿題とはいえ、今にしてみれば最高の思い出になる写真集になりました。 写真は、整理してまとめておくべきですね。ばらばらの写真だったら、残っていなかった可能性が高いです。モノクロフィルムは多分、コダックのトライX。印画紙は、三菱の「ヒシコピーCHペーパー」。そのまま製本できる薄手の印画紙で、これは学校の指定でした。 当時は未だ瀬戸内海大橋が架かっておらず、高松~宇野をフェリーで渡っていたのでした。宇高連絡船ですよ。船の中で立ち食い讃岐うどんが販売されていて、ほとんど素うどんなのですが、それが却って旅情をか...
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絶対心霊写真・展(1999年)

まず若い人向けに、「ポラロイド」はこちらを参照。 1999年当時、虎ノ門に日本ボラロイドという会社があって、その一階に写真ギャラリーを併設していました。もちろんですが、ここに展示されるのはポラロイドフィルムを使った作品だけ。かなりアート寄りな作品展示が多かったのですが、ここで私が開催したのは「絶対心霊写真・展」でした。 使ったのはポラロイド タイプ55(4×5判)。ネガとポジが分離できるもので、ネガは亜塩酸ナトリウムで定着処理すれば、長期保存できました。なので、まだこのネガは手元にあります。 「心霊」写真は、多重露出と長時間露出で撮影した他愛もないものです。が、一発撮りなので、どのように写っているのかは現像が終わるまでわからず、フィルムをめくった時の驚きがなんとも言えず楽しいのですよ。上手くできたらみんなで「おお~こわ~。ほんものみたい~。」とかいって喜ぶわけです。こういうのは、ポラロ...
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笑う寿像・展(1998年)

写真道場から「遺影を撮りませんか?」とお声駆けした三十六人のポートレートです。ご年配の方だけでなく、若い人もたくさん。「死」は誰の身にも起こることですからね。というよりも、まだまだ死が遠いと思える若い方の方が入りやすいのかもしれません。相応の年齢になると自分では考えたくなくなりますし、回りからも声駆けできにくくなります。そうそう、ここに写真はありませんが、山本監督も写させていただきました。 20年という年月が経ちましたので、この時撮影させていただいた方の何人かは亡くなられ、これらの写真が使われました。お二方ほど、この時の写真が行方不明になって見つからなくてねぇ、というご報告もあり。いい写真を1枚準備する、というのでは、いざという時に役立たないこともあるのです。写真は複製していろんなところにばらまいておくのが一番です。 当時は「遺影」を撮るということはかなり特殊なことでしたが、20年経った今...
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卒業制作(1985年)

東京総合写真専門学校での卒業製作です。8×10で撮影していたニコラス・ニクソンという写真家の作品を真似て、4×5カメラで撮影しました。フィルムはTmax400。印画紙はイルフォードのマルチグレード、バライタ紙です。ちょこっと私自身が写り込んでいる写真もあります。この作品で卒業時に優秀賞の「金時計」を頂いたのですが、この時計を貰った人は出世しないというジンクスがありました。一番最初に出てくる写真は、『芸術写真捏造博覧会』にも使っています。
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東京パラダイス(1991年)

四半世紀前。チーマーと呼ばれる若い人たちがたむろしていた渋谷の夜。かたや、綱島温泉に集う老人たち。タイトルは「東京パラダイス」で、ううむ。謎解きは、見る人にお任せということにして。4×5のカラーネガを使って撮影しています。プリントは、ドイテクニカルフォト。1×1.5mくらいのビッグサイズプリントです。途中に挟み込んだモノクロの会場風景は、写真学校の同級生であった三橋氏が撮影してくれたバライタプリントなんです。自分が若くてびっくりしましたよ。
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俺たちの祭り-阿波踊り (1982年)

1982年、私21歳。会社勤めをしていた頃に、阿波踊りを撮影してまとめたものです。アサヒカメラに送って、翌年、ギャラリーという企画の見開きで掲載していただきました(下の写真です)。掲載だけでなくいろんな意味で、人生の変わり目を感じた阿波踊りになりました。 途中に出てくる1カット(アイキャッチ画像)は、『藝術写真捏造博覧会』の表紙に使った写真です。これを私自身と思われている方が少なくないんですが、別人なんですよね。 途中に出てくる1カット(アイキャッチ画像)は、『藝術写真捏造博覧会』の表紙に使った写真です。これを私自身と思われている方が少なくないんですが、別人なんですよね。
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