これはアサヒカメラ 1983年、8月号。

会社を辞めた動機を人に話す時に使うのが、この号に掲載された阿波踊りの写真です。タイトルは「俺たちの祭り」。

四国徳島の阿波踊りは通常8月12~15日に開催されますので、撮影したのはもちろん前年になります。1982年8月。私、21歳。前回紹介したコンテスト入賞に気をよくして、もっと写真に取り組もうと阿波踊りを撮影しに行ったのです。ユースホステルに宿泊したか、あるいは高専で同じクラスで同じ会社に入った神田君が徳島配属であったので、彼の寮の部屋に泊めてもらったか。夜通し撮影した記憶もあるので、宿泊はせず、酔いつぶれて道路で寝ただけかもしれません。

そんなこんなで大量に撮影したモノクロフィルムを現像し、ベタ焼きをつくって写真を選び、30カットを選び、構成して写真集的なものを作成。アサヒカメラの「SPACE(後のGALLEY)」に応募したのです。9月か、10月に入っていたかもしれません。

数カ月以内には合否の連絡が来るだろう、落ちたら作品は返却されるはずなので、それを待てばわかる。と思いつつ、年を越しても音信不通。春が来て、もう一度夏が来ようとしていた6月の末くらいだったか、勤めていた会社に朝日新聞社から電話が入ったのでした。

当時は発電所勤務で、事務室に入った右側が総務、左が経理で、もう少し入った左側にある保修課計測係の島に私の机がありました。もちろん外線も繋がる電話があるのですが、なぜか総務の女性が電話を受け、「くもんさーん、あさひしんぶんからでんわです。」と取り次いでくれました。何か悪いこともでしたのじゃないか、というような怪訝な感じもあったかもしれません。

電話はアサヒカメラ編集部からで、これらの写真を8月号に2ページ掲載すること、原稿料の支払いもあることなどを伝えられました。声は上げませんでしたが、心の中でガッツボーズをしたことは確かです。原稿料は、1万円か2万円。後日、小切手が送られてきて、これまた換金するのがたいへんに面倒でした。

そんなこんなで、阿波踊りの写真が8月号に2ページ掲載され、これで自分には才能があるんじゃないかと誤解して・・・という話にしているわけです。もちろん話はそこまで単純じゃないはずですが、まあ、こう言っておけば話は通りやすいというわけです。しかし、このように話を単純にして何回も話をしている内に、自分自身でもそう思うようになってくることはあるようです。

しかし今、こうして写真を見直しながら、ふと、ここに写っている彼らは、「自分と同じ年齢くらいだったのだ」という事実に気づいた途端、会社を辞める動機は、実はこの阿波踊りの撮影自体にあったかもしれないと思い至りました。

応募した写真は30点。こちらで全て見られます。上の写真もリンクしています。

見てわかる通り、採用された写真は8点。レイアウトも面白くて、「おおー、こういう具合になるのかぁ」とちょっと感動しました。

あ、そうそう。よく勘違いされるのですが、ここに写っているのは、私の友人でも知人でもありません。踊りの仲間でもありません。カメラを持って踊りの輪の中に飛び込んで行くと、それを彼らも面白がって、わいわいやってしまうノリになるって話。祭りの場の力、そして酒の力は大きいですね。

彼らは、大学生。日本全国の大学に阿波踊りのクラブのようなものがあり、この時期になると全国からやってきて、飲めや歌えの大騒ぎをしているのでした。正式な阿波踊りは演舞場でまじめに踊りの美しさを競うわけですが、路地裏ではこういう乱痴気騒ぎが繰り広げられているのです。だから、飛び入り参加もok。なんだかんだ言って、若い人間にはこっちの方が面白い。

と・・・。

待てよ。大学生ってことは、19~22歳。私、21歳。ど真ん中じゃん。

今の今まで、彼らは私よりも2~3歳上だとばかり思っていました。なんたる・・・。

そして今、平たく考えると、私は既に会社員2年目なわけですから、彼らより「大人」であっても不思議ではないのに・・・。

単純にいえば、私が「世間知らず」だったという理由になるのでしょう。私は高専卒の20歳で就職したのですが、なので同期は、18歳の高卒、22歳の大卒、院卒にいたっては24歳(ダブっている人はもっと年上)という年齢差があります。この年齢の2歳以上の差は大きいだけでなく、大卒の人々は大阪、京都、東京在住の経験があります。これが、年の差観をさらに広げてしまう要因でしょう。事実、大卒、院卒の人々は、年齢差以上に広い世界の中で生きているように感じられたものです。

これが多分、阿波踊りで同年代の大学生を写しているにも関わらず、自分よりも「上」に感じてしまった大きな要因ではないかと思います。

そしてまた、写っている彼らの男女の関係がまぶしかった。楽しそう。仲よさそう。まさに青春を謳歌しているような。

一学年に女性は一人いるかいないかの高専時代。発電所の現場はもちろん男ばかり(総務や経理は別ですが)。という環境でしたからねぇ。テレビでは見るけれど、実際にこの目で見て、その仲間のように振る舞うのは初めて。これをもって、21歳の私の心の中で目に見えない変化が起こったとても不思議ではありません。

踊り明かした翌日は抜けるような青空で、複数ある演舞場の中心にあたる両国橋の袂、たまたま出会った数人の男の子たちと一緒にナンパのようなことをしてみたり・・・。彼らはちょっと年下だったかもしれませんが、ずいぶんにファッショナブルで、イカしていました。「お洒落」っていいな、と思ったのは、ほとんど男の中で暮らしてきた私にとって、これが初めてだったかもしれません。

そう。確かにこの阿波踊りの撮影で、私はそれまで見も知らなかった世界があることに気付いたのです。そして、その世界は底抜けに明るく、どこまでも行けるくらい広いのだ、と。

祭りが終わり、寮に戻り、仕事の後は写真を現像・プリントする内に、このことはすっかり忘れてしまったようです。少なくとも表面的には忘れた、忘れようとしたはずなのですが、心の中のちいさな変化は徐々に大きくなり、自分でも制御不能になって・・・。