
いい写真だな、いい関係だな、と感じ、これを「父と子」と書こうとして、なんか違うな、と思いました。
「親と子」では? と思いましたが、これもしっくりきません。
もちろん、生物的には父と子だし、親と子であるには違いないのです。
少し考えて、子が「乳幼児」であれば、「父子」「親子」としても自然に感じられるな、と思い、
だからこの違和感は、子が一人の人格を持ち始めているからではないか、という結論に至りました。
こうした意味では、子が大きくなり始めた以降は、「父と子」も「親と子」も、それらをどのように「演じるか」が課題なのでしょう。
「父と子」を演じるもよし、「親と子」を演じるもよし。
でも、現代を生きる多くの父子、親子は、従来通りの型を素で演じることに、どこか照れくささ、極端にいえば不快感を覚えるのではないでしょうか。
「実態はそんなんじゃないよな」と。
だからといって、こうした関係にフィットする言葉もないし、型も見当たりません。
あえていうなら、比較的濃厚な関係をもつ独立した人同士、としてお互いを認め合う方が、よりよい関係を続けられそうです。
「父と子」も「親と子」も、それらの時代背景を背負いすぎた言葉ですから、意外に窮屈なんですよね。
年上と年下、人生の先輩と後輩、とかいうのも、時代の変化が人の成長速度よりも速い時代にはそぐわないように思います。
何かの型に自分たちを当てはめて良しとできたのは、古き良き時代のこと。
自分たちの型は自分たちで決めるしかない、そんな時代なのです。
これはこれでしんどいことだよなー、と嘆息しそうになりますが、「今の自分たち」を素直に受け入れることができたら案外楽なのかもしれません。




