還暦を機に「未来への手紙」というタイトルで文章をまとめはじめたのが、2021年の4月20日。'23年の10月4日の88回で一旦終了。次のステップとして書き続けたいことはぼんやりあったのですが、どこからどう入ればいいのかわからないまま月日が流れました。
昨年、画像学会の方からお声がけ頂き、『写真は夢を写すか?』をまとめたのは原稿締め切りぎりぎりの6月でしたが、自分的には十分満足できる仕上がりになり、次のステップへ進めそうに思えたのは束の間。しかし結局、ずるずる9カ月ほどが経ってしまいました。
歳もあるんだろうな、と先日64歳になって、この4年で気力・体力の衰えをジワジワ実感することもあります。これに輪をかけて、世の中の変化の速さがもうなんといっていいかわからないくらい、わからないのです。事実、先日開催されたCP+2025に行ってみたのですが、想像以上の華やかさとは裏腹に、私の心はどんどん冷めてしまって・・・・。この件、いずれ整理しましょう。
という次第ですが、ここに来てやっと、世の中の動向からは離れ、自分自身が過去に学んだことを見直すことによって、これからの自分がをもっと自由になれるのではないか、という方針が立ちました。
タイトルは、「裏書きする写真論」としました。このタイトルで、半分くらい書けたようなもの。
「写真論」というのは、いわゆる写真評論を含みながらも、平たくいえば写真を考えるという意味です。これまで写真に関する書物をそれなりに読んだり、見たり、書いたりもしてきましたが、これらには、これらが成立した「裏」の事情、すなわち時代背景や個人的なあれこれは記されていません。でも、実体験として40年ちかく、これらの「裏」事情を見聞きしてきたわけで、だから「写真論の裏を書く」というのが一つの軸。
もう一つ。昔の写真プリントで、自分たちが写っている写真の裏に、いつ撮ったか? 誰が写っているか? 何の機会に撮影したか? といったことを「裏書き」することがありました。数十年経った時に、この情報は驚くほど役立ちます。で、こういう意味での「裏書き」。書画の裏に、それが確かな物であることを保証する文句を書くことや、小切手の領収証明も「裏書き」です。
要するに、昔の事を掘り起こし、今の知見を加えて見直すことで、「これから」を考えるよすがにしたいな、という次第。